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応用栄養学特論
1821
:
とはずがたり
:2017/05/29(月) 12:44:40
2017/01/29
とんかつ2020年問題とは何か
東京も、とんかつも大変化する時代に
http://bunshun.jp/articles/-/34
最近、とんかつ屋の閉店の報を聞くことが多くなったとは思わないだろうか。
昨年2016年の9月には秋葉原の「とんかつ冨貴」、蒲田の「鈴文」が、一昨年は川崎「とんかつ都」、渋谷「蓬莱亭」、もう数年前には上野とんかつ御三家の一角であった「双葉」や池袋「寿々屋」、八王子はめじろ台「とんかつ赤尾」も店を閉めた。
思いついた店を列挙したが、すぐに思い出せるだけでもこれだけあるのだから、実際にはもっと多いはずだ。この閉店が続く状況は2010年前後、ちょうど大正時代から続く浅草の名店「登運勝 ?多八(喜多八)」が閉店したあたりからだろう、という実感がある。
しかし同時に、今までのとんかつ屋のイメージとは一線を画すような新しい形で、新規に開店した店も多く見る。たとえば大手のグルメサイトでとんかつのランキングを見てみると、一位は高田馬場の「成蔵」だ。ほかにもランキング上位には、神楽坂「あげづき」、浅草橋「丸山吉平」、武蔵小山「たいよう」など、ここ10年の間にオープンした店が多く挙げられている。
つまり、とんかつ界の新旧交代が今まさに行われている真っ最中というわけだ。それにしても昔ながらのとんかつ屋は、なぜ今この時代に消え行くのだろうか。この疑問に答えるべく、「とんかつ」がたどってきた道のりを見てみよう。
3分でわかる「日本とんかつ史」
そもそも江戸時代、日本人には豚肉を食べる習慣がなかったのはご存知だろう。明治の文明開化とともにやってきた西洋人、西洋料理のために食肉が輸入され、コートレットという料理がなまってカツレツになった、というのも有名な話だ。
この時期の創業の店といえば、明治38年(1905年)創業の上野とんかつ御三家の最古参「ぽん多本家」だ。この店はあくまで洋食屋であり、メニューには「とんかつ」ではなく「カツレツ」とあるし、タンシチューやポークソテーなどの料理も提供している。カツレツは真っ白の衣は美しく、肉もジューシーで肉そのものの味が力強く感じられる。店の入口の扉は重厚で、入るのには少し勇気がいるかもしれないが、これも伝統の重みを感じさせるアトラクションのひとつだ。
さて、東京あるいは日本にとっての食文化の転換点として、明治維新と並んで最大級のものが大正12年(1923年)の関東大震災だ。これによって東京の屋台文化は壊滅し、新しい店が増えるに伴って新しい文化もひろまった。第一次とんかつブームが起きたのもこの時だ。
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