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応用栄養学特論

1607とはずがたり:2016/04/24(日) 05:49:52
モスは美味しいからずっと好きで応援してたけどサディスティックな高価格路線に流石に愛想が尽きて最近は通っていない。手軽に喰える無い。
FCのせいにするのは筋違いである。もっとデフレに努力しないとダメだな。変に低価格路線に行くともっとダメだろうけど今のは高すぎるわ。そろそろファンドに売却して伸びたコメダ見倣う時では?コメダを良いとは思わないけど。

モスバーガーの正念場、脱創業家の行方は?
櫻田厚氏が社長退任、法務畑の役員が昇格
http://toyokeizai.net/articles/-/114080
常盤 有未 :東洋経済 記者 2016年04月23日

1998年12月、深夜3時の池上本門寺(大田区)。「モスバーガー」を展開するモスフードサービスの櫻田厚(さくらだ あつし)氏は、境内のベンチに座って、一人で考えていた。

当時のモスは役員人事をめぐる内紛の真っただ中。営業担当の役員だった厚氏は、翌日に控えた取締役会でトップを解任し、社長に就くように要請を受けていた。深夜まで悩み抜いた末、亡くなった創業者の叔父のことを思い、「受けることが正しいかもしれない」(厚氏)と、社長職を引き受ける決意を固めた。

それから約18年後の今年2月下旬、モスは中村栄輔常務(57)が社長に昇格する人事を発表した。会長兼社長だった厚氏(64)は会長専任となる。6月の株主総会を経て、新体制に移行する予定だ。

カリスマ経営者が築いた「モス」ブランド

モスは1972年に厚氏の叔父である故・櫻田慧(さくらだ さとし)氏が創業。厚氏も1号店からかかわっている。慧氏はゼロから1500店規模に育て上げた、外食業界のカリスマ経営者だった。

同じ1970年代に創業したマクドナルドやすかいらーくが、商品値下げや出店攻勢で規模を拡大させる中、モスは違った道を歩んだ。国産野菜を使った商品開発、2等立地による省投資戦略、フランチャイズ(FC)オーナーとの強固な結び付きを武器に、独特の雰囲気を持ったモスというブランドを築き上げたのだ。

ただ、その軌跡は順風満帆とはいいがたい。1997年5月、創業者の慧氏が60歳の若さで急逝すると、社内は後任人事をめぐって紛糾。1998年12月に当時の会長と社長を解任し、厚氏が社長に就任する形で、内紛を終息させた。こうした経緯もあり「櫻田はモスの象徴」と、ある社員は言う。

厚氏は在任中に、高級バーガーの「匠味」や「とびきり」シリーズを投入し、従来のファストフードに多い赤看板から、健康や食の安全を意識した緑色を基調とした店舗へと、改装を進めた。

改革は店舗の8割近くを運営するFCにも及んだ。初期の頃に契約して、惰性で続けていたオーナーとは契約を打ち切り、高齢化が進んだオーナーに対しては、専門部署を設けて世代交代を促した。結果的に、FCオーナーは690人から450人へと、絞り込まれていった。

しかし、厚氏が社長に就任した当初の全店売上高は1276億円、モスバーガーの店舗数は1525店だったのに比べ、直近は1064億円、1370店と、規模が縮小している。

この20年ほど、売上高は停滞気味だった

「よくいえば安定、悪くいうと成長の度合いが低かった」(厚氏)。外食業界の市場規模が縮小傾向にあるとはいえ、優れた経営手腕を発揮したとはいえないだろう。

後任に指名した中村氏は、法務畑出身で、現場経験は乏しい。厚氏は「物事を整理したり、理論化できるのが彼のいいところ」と評価する。当面は厚氏が海外事業を統括し、中村氏が国内を担当する。2年後をメドに、権限の大半を委譲する計画だ。

新社長の課題は、櫻田家に依存した経営を脱し、停滞する国内のモスを成長軌道に乗せること。そのためには、店舗数の8割近くを占めるFCオーナーの信頼を得られるかが、カギを握る。

(「週刊東洋経済」2016年4月23日号<18日発売>「核心リポート06」を転載)


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