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応用栄養学特論
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小説吉田学校読者
:2011/06/06(月) 19:20:40
まさにオムライスであります。私は、この度「べちょべちょチキンライスに卵くるみ」派に転向いたしました。なぜか。千葉県庁近くにマジウマの洋食店を見つけたからであります。ナポリタンも昔ながらのケチャップ重視でよし。池波正太郎風にいえば「男の洋食店」であります。
外観はおせじにもきれいとはいえない店構えですが、味は絶品、私が芸能人ならとんねるずの番組に推薦しているところであります。
県庁付近は意外と食べるところが少ない。チェーン店もあれだしなあ、という私に取って、まさに天祐。さあ、どこか当ててみましょう。
オムライス、名付け親は能登人だ 町おこしの武器に
http://mytown.asahi.com/areanews/ishikawa/OSK201105190127.html
オムライスによる町おこしが石川県宝達志水町ですすんでいる。オムライスの「名付けの親」が同町出身という縁で始まった企画だが、能登の優しさと歴史もくるんだ味わいになっている。
能登最高峰の宝達山、なぎさドライブウェイ、イチジク、宝達葛……、自然も農産物も豊かな同町だが、輪島と金沢の間にあって観光客に通過されがちなのが悩み。2009年夏にできた産業振興課ふるさと振興室が、町の活性化を探る中、「出会った」のがオムライスと北橋茂男氏(1900〜1966)だった。
北橋氏は同町敷浪出身。大阪で戦前23店を数えた一大洋食チェーン店(現在の「北極星」)を築いた。オムライスの誕生は1925年。胃が弱くいつもオムレツと白いご飯を頼む常連客がいた。かわいそうに思った北橋氏は、タマネギ入りトマトケチャップライスを卵でくるんで出した。何?と尋ねる客に「オムレツとライスをあわせてオムライス」と当意即妙で答えたという。いわば「名付けの親」だ。
「オムライスは知らない人がいない。材料は全部町内でそろう」。振興室の田上諭史主任(32)らは昨年6月、北橋氏の長男で北極星社長・茂登志氏に協力を依頼。快諾をえて、飲食店向け講習会を開いた。今年2月の「能登ふるさと博」では、喫茶店・うどん屋・ラーメン屋など町内8店がさまざまな「オムライス」を出して話題になった。
手打ちうどんの店「伊兵衛どん」が創作した「オムうどん」は、一カ月で180食出た。「3分の2は初めてのお客さん」と山加忠明さん(65)。フライパンを使うのも初めての経験だが「せっかくの町おこしだから」と妻の鈴江さん(62)と試作を繰り返して完成した。短くカットした手打ちうどんに特製ミートソースをからめて卵でくるむ。人気メニューとして定着した。
もともとオムライスを出していた「志お食堂」。2代目の本西浩一さん(40)は、講習会に参加して、父から習った作り方が北極星流であることに驚いた。調べると、父にレシピを伝えた大叔父は北橋氏の店で修業していた。戦前550人いた同社の従業員は、多くが宝達志水の若者だったという。町の歴史が息づく一皿だ。本西さんは「継承者の気持ちで一つひとつ丁寧につくりたい」と話す。
19日には、「オムライスの郷プロジェクト実行委員会」設立総会も開かれ、町をあげて取り組む態勢ができた。茂登志氏は、「オムライスは優しさとおいしさをくるむ味。13歳で奉公に出た父は、故郷への思いが強かった。私もできるだけ応援したい」と、6月12日の町民向けオムライス講習会でも講師を務める。
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