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Tohazugatali Economic Review

846とはずがたり(2/2):2005/01/26(水) 11:28:50
>>845-846

●まるで明治、大正の実業人
 堤義明氏。昭和八年生まれ七十一歳。私が会ったのは康次郎が亡くなった直後だから、ようやく三十歳になった時ではないか。七歳年上の兄.清二氏はすでに西武百貨店を経営する若手財界人として世間に知られていたが、義明氏は外から見てまだ未熟のコクドの常務。
 二人の違いは、義明氏がグループのすべての資産を継承したのに対し、清二氏が経営する西武百貨店は、コクドの支配下にあった。これを脱却するためか、清二氏は折りからの流通革命の波に乗って、借金経営で出店を進めた。
 清二氏の経営から危うさを感じた義明氏は、父の七回忌(一九七〇)を機に、西武百貨店グループと訣別を決意、二人は話し合って事業を分けた。つまり、基本的には資産なき清二氏は奔放経営、資産を守る義明氏は慎重経営と分かれていく。
 はじめ慎重だった義明氏も持てる土地を使ってプリンスホテルを全国展開、ホテルにそれぞれ、ゴルフ場、スキー場を持たせて、鉄道、不動産、観光事業の三本柱で事業を確立していく。
 義明氏は、鉄道と不動産には、ほとんど興味がなかった。スポーツを核とする観光事業に情熱を注いだ。スキー、スケート、ゴルフを経て、一六年前、野球ビジネスに進出する。野球というスポーツが、すべてのスポーツに比べて、メジャーなスポーツだという認識である。
 野球はパ・リーグの盟主といわれるまでに存在感を増した。ホテルも日本一、ゴルフ場もスキー場も日本一、ハワイでマウナケアリゾートを中心に一千五百億円を投資している。アラスカにもスキー場を持った。
 札幌と長野にオリンピックを誘致、最後にJOC名誉会長。オリンピックに力を入れたのは、スポーツビジネスに直結しているからだ。経団連や商工会議所に入るのを何度も要請されたが、財界団体には一切、興味を見せない。スポーツビジネスに徹底していた。
 松下幸之助は義明氏に興味を持った。私を入れて三人で会った時に、この経営の神様は義明氏を評して「この人は二代目だが創業者の心を持ってる人やな」と言った。
 たしかに、義明氏の経営感覚は創業者のそれであり、だからこそサラリーマン経営者を嫌った。つき合う相手は物事を「その場で決められる人」に限った。交渉ごとの時、会社に持ち帰って、「のちほど返事をします」という類の経営者を相手にしなかった。
 今回、西武鉄道株を売却するのに、何社かは自ら相手の社長に直接、交渉している。電話一本で数十億円分の株の買い取りをその場で承諾できる相手こそ、自分と対等だという意識である。
 今回の事件は、義明氏から見て「心外なことばかり」ではないか。西武鉄道株を買った相手が株価が下がったことを理由に損害賠償を求めている。これだって、義明氏にしては意外だっただろう。
 つまり堤義明という人は、あまりにスケールが大きすぎて、相手が「小役人」とか「サラリーマン経営者」であることに気がつかなかった。明治、大正の大物経営者が、タイムマシーンで平成の世に生きているようなものではないか。■


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