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Tohazugatali Economic Review
592
:
とはずがたり(1/3)
:2004/06/18(金) 22:15
リクルートのハングリー魂 1兆円の借金返すエネルギー
2004年04月05日号
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200404130179.html
10年で1兆円減――。リクルートは2004年3月期決算で、借入金を3000億円台にまで減らす。1994年には約1兆4000億円あった。景気低迷下になぜ、こんな離れ業ができたのか。(AERA編集部・大鹿靖明)
◇ ◇
リクルートの入社試験は受験者泣かせで有名だ。
面接は、採用まで5〜6回、1回あたり1〜3時間を費やす。外見にあふれるエネルギーばかりでなく、その原点を徹底的に時間をかけて探るためだ。あるベテランの採用担当者が言った。
「面接する自分を超える人間を採る。エネルギー量が明らかに莫大な人間を採る」
能力はあっても就職の門戸の狭い女性、幼い時の親との死別、学生時代の勉学やスポーツでの挫折……。丹念な面接を繰り返すことで、そんな屈辱感やコンプレックスが活力の源になっていることを発見することもあるという。結果として集まる人間は「同じニオイのする」(中堅社員)バイタリティーあふれる人間が多い。
同社には、昼夜なく働くタイプの社員が少なくない。新規事業を次々に提案し、実行する。体の芯からみなぎる本物のエネルギー。そして、創業者の江副浩正が言う「毎日が火事」という社内のテンションの高さ。それらが相まって1兆円返済は初めて可能になったのだ。
●早めの方向転換が幸い
そもそも借入金は、江副が残した「負の遺産」だ。バブル期にグループ会社のリクルートコスモス(マンション分譲)と、ファーストファイナンス(ノンバンク)が不動産バブルに踊った。
しかし、江副が1989年にリクルート事件で逮捕されたことが「不幸中の幸い」。早めに方向転換できた。大手金融機関などが不良債権処理を本格化させる97年以降より、「少なくとも5年は早かった」(幹部)路線変更で、損失を少なくできた。1兆円のうち3400億円は、不動産売却や債権回収の成果だ。
陣頭指揮を執ったのは、97年〜2003年まで社長だった河野栄子(現会長)。リクルート事件の発端となった川崎テクノピアビルを始め、全国主要都市にあった自社所有のビル、安比高原スキー場や社員寮・保養所などを次々売り払った。採算性やコスト重視の手法に批判的な社員もいたが、
「構造調整の時代だったので、やむを得なかったかもしれない」
と見直す空気もある。
92年には江副が保有株をダイエーに売却。当時の関係者によると、リクルートとダイエーとの間で話し合われたのは主に返済計画で、当面は資産売却、その後は期間損益で返す――という枠組みができあがった、という。
返済額1兆円のうち、残る6000億円が、この枠組みどおり本業の利益による返済だ。不況下でも一貫して黒字を続け、営業利益を、ほぼ右肩上がりに伸ばしてきたから出来た。
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