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Tohazugatali Economic Review

550とはずがたり(3/3):2004/06/01(火) 22:31
 ガーナは、アメリカ、イギリス、世銀の援助を得て、アコソンボ・ダムを建設し、世界最大の人工湖ヴォルタ湖が出現した。そこに、カイザー・アルミが90%の株をもつアルミ精錬所がすぐにできた。

 世銀の経済分析局長だったアンドリュー・カマークは、ガーナ経済は、ヴォルタ・プロジェクトのおかげで、7%成長するだろうと考えていた。

 1982年、ガーナからピッツバーグ大学に留学していたアグイェイ・フレンポンは、ヴォルタ川開発プロジェクトの現実の実績と、ンクルマや当時の内外アドバイザー達の工業化、輸送、農業、その他経済発展全般にたいする高い期待を比較した博士論文を提出した。ヴォルタ湖はたしかにそこにあり、発電所もあり、アルミ精錬所もあった。アルミ生産は、変動はあったものの、1969年から1992年の間、年平均1.5%で伸びていた。

 しかし、それは、そのプロジェクトのためだけのものだった。フレンポンは、「ボーキサイト鉱山もなく、アルミナ精錬所もなく、苛性ソーダ工場も鉄道もない」、と述べた。

 ヴォルタ湖で漁業を振興しようとしたが、行政の不備と漁業機材の不具合に悩まされた。水没した家屋の住民は、様々な水による感染症に悩まされた。大規模灌漑プロジェクトも失敗した。水上交通は全く成立しなかった。

 ヴォルタ湖のプロジェクト自体は、ガーナでもっとも成功したプロジェクトだと言える。しかし、それ自身が悲劇だとも言える。依然として、ガーナの経済は、1950年代と同じである。

 1966年から15年間に5回の軍事クーデターが起きたが、最初のクーデターで、ンクルマは追放されてしまった。野心的な開発計画は、食糧不足とインフレ以外にはほとんど何ももたらさなかったからである。

 1983年に空軍将校だったジェリー・ローリングスの軍事政権ができたとき、ガーナは最悪であった。1983年の所得は、1971年の2/3に落ちていた。

 ローリングス政権は、ガーナ復興を目指し、その結果、経済は回復に向かったが、25年間もの間落ち込んでいたため、回復の道のりは長く緩やかなものとなった。


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