[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Tohazugatali Economic Review
1980
:
とはずがたり
:2019/06/04(火) 14:09:51
なんだカーライル全然見えてない奴だったじゃん。
経済学は階層秩序を前提としない「陰鬱な科学」である
https://ameblo.jp/tilleulenspiegel/entry-11853773827.html
2014-05-18 10:24:44
欧米の経済学者が書いた教科書やエッセイを読むと、以下のような格言が、しょっちゅう出てくる。
・経済学は「陰鬱な科学」(dismal science)である。
・オウムに「需要と供給」という言葉を教えれば、経済学者の出来上がり!
出典が明示されていないことも多々あるが、これら(とは註:これは間違えで後者はカーライルではなくサミュエルソンの言葉。Thomas Carlyle(1795-1881)は需要と供給と言い出したAlfred Marshall(1842-1924)よりずっと前の人)はスコットランドの歴史家・評論家であったトーマス・カーライル(1795〜1881)が言い出したことだそうだ。
…
もっとも、どういった事情で彼がそんなことを言ったのかについて、最近まで私は知らなかった。
これらの格言を紹介している経済学者たちも、そこのところはよく知らないらしく、たいていは
・『人口論』で人口爆発と食料の不足を予測したロバート・マルサスのせい
・労働者の数が増えると、その分だけ賃金が低下し続けるという『鉄則賃金』を提唱したデイビッド・リカードのせい
といった古典派の経済学者たちが労働者、ひいては人類の未来を暗く予測したからだという説明に落ち着いていた。
結局、これらは技術革新という要素を全く無視した理論だったので、実際は予想ができなかった技術革新の連続によって、人類がこういった悲惨な末路をたどることはなかった。
さて、このようにカーライルによる経済学批判の背景が不明なまま今日まで過ごしてきたのであるが、最近、早稲田大学の若田部昌澄先生がお書きになった『経済学者たちの闘い[増補版]――脱デフレをめぐる論争の歴史』(東洋経済新報社)を読んで驚いた。
経済学者たちの闘い(増補版): 脱デフレをめぐる論争の歴史/若田部 昌澄
何と、カーライルは黒人差別を正当化する文章の中で、経済学を「陰鬱な学問」と呼んだというのだ。
当時、産業革命によってイギリスは経済的に成長していたものの、同時に産業化の弊害も目立っていた。
資本家が賃金に投じる金額が非常に少なく、労働者は劣悪な環境で一日十六時間も働かされ、得られる給料は、生活できるギリギリの水準、といったことが当たり前だったのである。
大都市にはスラムが形成され、汚染物質が河に流れ込み、スモッグが空を覆いつくしていた。
若田部先生によると、こうした産業化の弊害について、カーライルはイギリスにおける奴隷制の廃止(1830年代末)に原因を見出していたという。そして書き上げた『黒人問題論』(1849)の中で、経済学を批判したのだった。…
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板