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Tohazugatali Economic Review

1910とはずがたり:2018/04/11(水) 17:37:08
なんと!フーバーはばらまいたのか?!多分ばらまきはしないという信条は持ってたけどばらまいたのかな。フランクリンはばらまくという信条でばらまいたけど。

2016.10.24
筈井利人「一刀両断エコノミクス」
政府の経済政策は、経済を悪化させるという歴史的事実…不況期は「何もしない」が最善
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16985.html
文=筈井利人/経済ジャーナリスト

今から87年前の1929年10月24日といえば、経済の歴史で最も重要な日付のひとつである。「暗黒の木曜日」と呼ばれるこの日、ニューヨーク市場で株式相場が暴落し、史上最大規模の世界恐慌(大恐慌)の始まりを告げたからだ。

 一般に流布する説によれば、大恐慌発生時の米大統領フーバー(共和党、任期1929年3月?33年3月)は自由放任主義を信じ、経済対策をやらなかったため不況を深刻にしたといわれる。

 しかし、それは嘘である。これから述べるように、フーバーは政府による経済介入を積極的に行い、それが裏目に出て、不況を大恐慌に悪化させてしまったのだ。

積極的な公共投資

 たとえばフーバーは公共事業に消極的だったといわれるが、それは事実に反する。むしろすばやく行動した。

 フーバーは暴落翌月の11月23日、州知事全員に電報を打ち、州の公共事業計画を拡大するよう協力を求めた。知事らは協力を誓い、同24日、商務省は州と公共事業で協力するための組織を設立する。

 一方、連邦政府の建造物計画に4億ドルを増額するよう議会に提案し、12月3日、商務省は公共事業計画を促進するため公共工事局を新設する。さらに船舶連盟を通じて造船への補助金を増やし、公共事業にさらに1億7500万ドルの予算増額を求めた。

 翌30年6月末には、フーバーは州と市に対し、さらに公共事業を拡大し失業を解消するよう要請している。7月3日、議会はコロラド川のダム建設など9億1500万ドルもの巨額の公共事業予算を承認した。このダムはフーバーの名にちなんでフーバーダムと呼ばれる。

 フーバーは政府による公共工事だけでなく、民間投資の維持・拡大も促した。29年11月、ホワイトハウスの閣議室に鉄道会社の社長らを集め、建設・改修投資の続行と拡大を要請した。これを受けて鉄道会社側は10億ドルの支出計画を発表した。これは同年に連邦政府が予算を割り当てた全プロジェクトの3分の1強に相当する大きな金額だった(『アメリカ大恐慌・上巻』<アミティ・シュレーズ著/田村勝省訳/NTT出版>)。

 会計年度ごとの政府支出をみると、30年度(29年7月〜30年6月)から34年度(33年7月〜34年6月)まで、公共工事を含む連邦政府支出はほぼ一貫して増加している。30年度(33億ドル)から32年度(47億ドル)にかけては42%も増えた。33年度には前年度比6100万ドル(1.3%)減っているが、同年度が始まるのは32年7月1日で、すでに大恐慌に入って3年近い。そのときまでフーバーは財政支出を着実に増やしたのである。

 財政収支をみると、30年度こそクーリッジ前政権から引き継いだ黒字を維持したものの、31年度は赤字に転じ、32年度には赤字額が国内総生産(GDP)の4%に達した。国内総生産が4年間で3割近く急減した影響もあるが、一方で財政赤字の絶対額も5億ドル(31年度)から27億ドル(32年度)へと5倍強に跳ね上がっており、対GDP比率を押し上げた(『学校で教えない大恐慌・ニューディール』<ロバート・マーフィー著/マーク・シェフナー他訳、大学教育出版>)。

 財政赤字の対GDP比4%という数字は、減税やイラク戦争で赤字が大きく膨らんだジョージ・ブッシュ(子)時代の3.6%(2004年度)を上回る高水準である。フーバーの政策は、積極的な財政出動を唱えるケインズ主義そのものの対応だったといえる。


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