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Tohazugatali Economic Review
127
:
とはずがたり【地域経済ネタ】
:2003/08/19(火) 11:45
新旧の対比でしょうか。
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20030817005.htm
「加賀の瓦」灯消える 130年の歴史も最後の組合解散
加賀市内で唯一残っていた瓦製造組合が二十日で解散することになった。同組合の解散 で県内で瓦を生産するのは小松市の一組合のみとなる。県外産の安価な瓦に押され、県内 業者は廃業が相次ぎ、三月には石川窯業協同組合も解散した。約百三十年の歴史を持つ加 賀市でも窯業の灯が消えることに、関係者は寂しさを隠せないでいる。
廃業するのは加賀市箱宮町のトモエ瓦工業協同組合(北村清治理事長、組合員十四人) 。同組合は一九六七(昭和四十二)年に箱宮町内の四社で設立した。生産量は最盛期だっ た昭和五十年代の半減まで落ち込み、先行きの見通しが立たないとして六月の総会で廃業 を決めた。窯の火も十一日に止め、現在は在庫整理を行うだけとなっている。
箱宮町の瓦製造は、福井県で技術を学んだ同町出身の大平勇助氏が一八七四(明治七) 年に窯を開いて始まったとされる。瓦に適した粘土質の土が豊富にとれるため、昭和三十 年代には隣接する分校町と合わせて約二十軒を数え、県内有数の産地になった。しかし近 年は、軽くて扱いやすく、価格も安い愛知県産の瓦などに押され、廃業が後を絶たず、五 年ほど前からはトモエ瓦工業協同組合だけになっていった。
県内では珠洲や志賀、高松町などでも瓦生産が行われ、丈夫な「能登瓦」として東京や 北海道などでも多用された時代があった。しかし、県も窯業単独の支援策は設けておらず 、業者数の減少に歯止めがかかっていない。
トモエ瓦工業協組の北村理事長は「四十年以上、瓦の生産に携わっており、廃業は本当 に寂しいが、これも時代の流れで仕方ない」と話している。
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