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Tohazugatali Economic Review

1124とはずがたり(1/2):2006/03/07(火) 16:58:01
日本の経営学者がマル経崩れに占拠されたりしたからじゃないの?そもそも云った者勝ちの適当な面もあるしねぇ。。

「アメリカ離れ」が進む
日本の経営学会事情
http://www.president.co.jp/pre/20060320/002.html

1980年代から90年代初頭まで、若手経営学者にとっての登龍門の一つは
アメリカだった。だが現在、事情は大きく変わっている。筆者は、
アメリカの経営学の研究対象が「ローカル化」しているのではないか、と警鐘を鳴らす。

東京大学大学院経済学研究科教授
藤本隆宏 = 文
ふじもと・たかひろ●1955年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱総合研究所を経て、ハーバード大学ビジネススクール博士課程修了。現在、東京大学大学院経済学研究科教授兼ものづくり経営研究センター長、ハーバード大学ビジネススクール上級研究員。
著書に『生産システムの進化論』『日本のもの造り哲学』などがある。

日本の若手を育ててきた
米・ビジネススクール

 筆者は生産管理や技術管理など、いわゆる現場系の「ものづくり経営学」をやる学者である。内外企業の工場や研究所にはたいてい週1回以上のペースで行く(今年元旦の午後には台湾の自動車組み立てラインを見ていた)。それに比べいわゆる本社にはあまり行かない。であるから、本誌読者の知的武装のお役に立つ話はあまりできないと思う。むしろ、筆者が日ごろ見聞するところにつき諸々率直な感想を述べることにする。皆様はむしろ知的武装を解除して、「そんな考えもあるか」というぐらいに気楽に読んでいただきたい。
 で、のっけから暴論で恐縮だが、今回と次回、「アメリカの経営学がローカル化していないか」ということについて考えてみたい。少なくとも筆者がアメリカに滞在していた1980年代、アメリカの経営学研究はもっと国際的だったように記憶する。経済も経営もグローバル化しているはずの今、なぜこんなことが起こるのか、あるいは筆者の思い過ごしか。まずは取っ掛かりとして、20年ほど前のことを思い出してみたい。
 筆者は80年代の大半をアメリカで過ごしている。大学を出て三菱総研という民間会社で調査マンをしていたが、その後、縁あって84年にハーバード・ビジネス・スクールの博士課程に入れてもらった。生産・オペレーション管理専攻である。当時、ハーバード大学やMITでは自動車産業の国際比較分析が盛んで、MITが組み立て工場、ハーバードが新製品開発の国際比較をやっていた。ハーバードの国際開発比較プロジェクトでは、後に学長になるK・クラーク教授の下に私がついて博士論文を書き(861ページ、重さ5〜6キロだが重すぎて未発表)、またクラーク・藤本共著で製品開発マネジメントの本を書いた。アメリカではそこそこ売れ、日独伊で翻訳もされた。筆者は90年に帰国、以来日本の学界のお世話になっている。
 私に限らず、80年代から90年代初めにかけて、アメリカのビジネススクールには日本の経営学界から若手が次々やってきて研究成果を出した。東海岸だけを見ても、チャンドラー門下で鉄鋼イノベーション研究の米倉誠一郎氏(現一橋大学)、そのチャンドラー先生の右腕だった曳野孝氏(現京都大学)、MITで圧巻の革新者ネットワーク研究をしていた金井壽宏氏(現神戸大学)などがすでにいた。その後も、ハーバード助教授になった三品和広氏(現神戸大学)、MITの青島矢一氏(現一橋大学)、フォン・ヒッペル門下の小川進氏(現神戸大学)など、老舗の一橋・神戸を中心に、次々やってきて賑やかだった。
 私と同じ民間出身者もいた。80年代の末、オックスフォード大で博士論文を書いていた西口敏宏氏(現一橋大学)が颯爽とMITに現れた。後に、自動車のサプライヤー・システムを進化論的に分析した名著『Strategic Industrial Sourcing』を世に問う。MITには、延岡健太郎氏(大阪大学工学部・自動車部出身でマツダのテストドライバーを志望したが大卒では適わず、やむなく製品プランナーになったと聞く。現神戸大学)や武石彰氏(三菱総研で小生と机を並べ、後に組合の委員長と最年少の研究室長を歴任し将来の社長を嘱望されるも一橋大学に転職)がいた。
 いずれも、日本自動車産業の歴史的研究で知られたM・クスマノMIT教授が指導し、それぞれ『マルチプロジェクト戦略』『分業と競争』と影響力の大きい著書を出した。西口、延岡、武石の各氏と藤本は、いずれも元サラリーマンで、自動車関係の研究で成果を出し、日本に帰って学者になった。一方、電電公社から派遣された國領二郎氏(現慶応大学)は、ハーバード経営情報系で博士号を取り、後に日本を代表するオープン・ネットワーク経営の権威となる。
 あの時代、アメリカは、まぎれもなく日本の若手経営学者にとって登龍門の一つだったのである。


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