1934年8月1日、ヒンデンブルク大統領の死後発効する法律として「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」が制定された。この法律で大統領の官職は首相の官職と統合され、大統領の権限は指導者兼国家宰相である、アドルフ・ヒトラー(Der Fuhrer und Reichskanzler Adolf Hitler)に委譲される事が定まった。翌日、ヒンデンブルクが死去すると法律は発効し、ヒトラーは国家元首の権能を手に入れた。ただし「故大統領に敬意を表して」自分のことは「Fuhrer(指導者)」と呼ぶよう国民に求めた。首相と元首の権能を統合したヒトラーの地位を、日本では「総統」と訳した。
8月19日にはこの措置の是非を問う民族投票が行われ、圧倒的多数で承認された。ヒトラーは公文書には「指導者兼国家宰相」(Fuhrer und Reichskanzler)と署名していたが、後には国家宰相の肩書きを用いる事がほとんど無くなった。
東ドイツは、旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「総理大臣」(Ministerprasident)[2]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[3]に改められた。東ドイツはソ連型の一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党の書記長が握っていた。