したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

とはずがたり日本語総研

906とはずがたり:2019/12/11(水) 15:58:41
>>905-906

ナチス・ドイツ

1934年8月1日、ヒンデンブルク大統領の死後発効する法律として「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」が制定された。この法律で大統領の官職は首相の官職と統合され、大統領の権限は指導者兼国家宰相である、アドルフ・ヒトラー(Der Fuhrer und Reichskanzler Adolf Hitler)に委譲される事が定まった。翌日、ヒンデンブルクが死去すると法律は発効し、ヒトラーは国家元首の権能を手に入れた。ただし「故大統領に敬意を表して」自分のことは「Fuhrer(指導者)」と呼ぶよう国民に求めた。首相と元首の権能を統合したヒトラーの地位を、日本では「総統」と訳した。

8月19日にはこの措置の是非を問う民族投票が行われ、圧倒的多数で承認された。ヒトラーは公文書には「指導者兼国家宰相」(Fuhrer und Reichskanzler)と署名していたが、後には国家宰相の肩書きを用いる事がほとんど無くなった。

東西分裂と再統一

第二次世界大戦後、ドイツは米・英・仏・ソの4ヵ国による占領下におかれたが、冷戦の対立構造が固定化されていく中で共同占領は困難となり、1949年秋に米・英・仏占領区にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、ソ連占領区にドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国された。

東ドイツは、旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「総理大臣」(Ministerprasident)[2]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[3]に改められた。東ドイツはソ連型の一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党の書記長が握っていた。

西ドイツは、国号に「連邦」の一語が追加されたのにともない、首相の呼称も北ドイツ連邦にさかのぼる「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。

1990年10月3日、西ドイツが東ドイツを吸収合併する形で再統一を達成した後は、そのまま「連邦宰相」(Bundeskanzler)の呼称が使われている。ただし日本では「宰相」という時代がかった表現は、アデナウアーやコールに関連して時折、あるいは州首相と並べて論じるとき混同しないよう使うくらいで、「Bundeskanzler」の公式訳も「連邦首相」とするものがほとんどである。

諸外国での表現

日本では、外国の首相に相当する官職を一律に「首相」と呼称しており、現在のドイツ連邦共和国の「Bundeskanzlerin[4]」も、過去のドイツの「Reichskanzler」も、すべて単に「首相」と表記する場合が多い[5]。

英語では自国外国を問わず、首相は一律に「Prime Minister」と呼ぶことになっている。ただしドイツの首相だけは伝統的な例外で、ドイツ語を直訳した「Federal Chancellor」、 または単に「Chancellor」と呼んでいる。

ドイツ語では、同じドイツ語圏で連邦制のオーストリアの首相のことも Bundeskanzler(連邦首相)と呼んでいる。そのほかの外国の首相は、各国の政治機構や原語での表現をもとに、「Ministerprasident」(総理大臣)または「Premierminister」(首相)と呼んでいる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板