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とはずがたり日本語総研
483
:
とはずがたり
:2008/11/30(日) 05:18:42
わけ
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba/Wake.html
タイトルは「訳がワケとはワケがわからぬ」(初版第一冊では145ページ)です。
以下、要点だけ書きます。
「訳」は「やく」、つまりトランスレイトなのに、なぜ「わけ」と訓じるのか。
三省堂『新明解国語辞典』では、〔「訣」に似ている所から流用された用字〕と説明してある。
日本語の「わけ」は、ものごとをわけて(分析して)説くこと。「わかる」はその自動形。
「わけ」にあてる漢字は、「分」、「判」、「別」、「理」などの諸例がある。訣別、永訣の「訣」もわかれの意であるから「わけ」の字にもちいられる。
どうも、「譯」の字は、手書書体の「訳」が「訣」と似ているために誤解(誤植?)されたり混用されたりして「わけ」として使われるようになったらしい。
「新明解」の山田忠雄がこの混用に怒って文章を書いている(省略しますが、これ山田さんの癇癪ぶりがよく出ていて面白い)。
森鴎外(いつ見ても「鴎」はイヤですね)が博文館に出した原稿では「わけ」とかな書きしていたものが、校正刷ではみな「譯」になって返ってきて大変立腹した。
著者再校で、できる部分は「わけ」に戻し、かなにするのが煩わしいところはしょうがないので、「訣」となおしてかえした。
すると博文館はまた「譯」になおして返してきたので、結局出版自体を取りやめた。
高島さんの文章には、このいきさつを書いた森鴎外の小説「鸚鵡石」も引用されています。これも山田さんの文章と同様、ひたいの癇癪筋がみえるような怒りかたで大変面白い。
森鴎外は、「併し僕には翻譯の「譯」の字に、何故「わけ」という義があるか分からない。そこでこんな字はなる丈假名で書きたいのだ」と小説の中の登場人物に喋らせています。
結局、歴史的には「訣」が正しく、明治時代の成りゆきで「譯」が市民権を得たということのようですね。
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