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近世日本史スレ

85とはずがたり:2006/10/17(火) 02:24:27

【磐城 岩城 石城】

石城郡(いわきぐん)は、石城国造がいた地域におかれた郡で、はじめ常陸国に属した。当初は「石城評」(いわきのこおり)であり、後に郡制の施行とともに「石城郡」(いわきのこおり)になった。陸奥国は7世紀に常陸国から分立して、現在の東北地方南部に設置,更に陸奥国から石城國分置(石城国分置の際常陸国から菊多郡編入)で石城國に所属となる。そして再統合により陸奥國石城郡(石城国等)となる。後に、磐城郡と改称され楢葉郡と磐前郡が分立した。

岩城氏は常陸平氏の血を汲む名族であり、その子孫が奥州に土着したことが岩城氏の始まりであると言われているが、石城国造の末裔であるとも言われている。
平安時代は奥州藤原氏と関係が深く、岩城則道の子とも安忠、繁衡の子とも言われる成衡が清原氏に養子に入ったほか、清原氏の出自自体も岩城氏の流れとする見解もある。また祖岩城則道の正室は奥州藤原氏出身といわれる。
鎌倉時代は地頭職に過ぎなかったが、南北朝時代に入ると好嶋庄の預所職である伊賀氏などを支配下に置き、磐城一帯の領国支配に成功したうえ、大館城(飯野平城)という居城を築城し、北関東から南東北にかけて勢力をのばし、また隆忠が嘉吉の内紛を抑えて全盛期を築き上げたのである。

明治になって、陸奥国を分離して磐城国を設置,磐前郡、磐城郡、菊多郡が合併して石城郡の名が復活した。現在では郡域はすべていわき市になっている。

時代と磐城
http://www2m.biglobe.ne.jp/~momotaro/talk/localstory/history1.htm
『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/石城郡 などより


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