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近世日本史スレ
76
:
とはずがたり(1/2)
:2006/02/06(月) 23:43:36
堂島帳合米(江戸期先物)市場分析の
金融工学アプローチ
http://www.sfc.keio.ac.jp/sfc-forum/forumnews/news68/forumnews68-2.html
小暮 厚之
慶應義塾大学総合政策学部教授
世界で初めて「先物市場」を構築した国――それは日本だった。今を遡ること300年、江戸期の大坂堂島米会所では、米の現物と先物が自由に売買されていたのだ。ここには、高度に発達した情報伝達手段と組織化された決済手段があった。今日に残された日次のデータをもとに、金融工学的なアプローチによってこの帳合米市場(先物取引市場)を解き明かそうという研究が進められている。
世界で最初の先物マーケット
昨年来、巨大な地震や津波が相次いで発生し、未曾有の被害をもたらしたが、天災や有事の際、リスクが複雑かつ巨大化した現代社会は、例えば通貨危機などのようなシステミック・リスクにもさらされている。伝統的な保険リスクの数理解析、いわゆる保険数理学では十分にカバーできなくなっている。人間の生存に対する脅威(リスク)を取り除くために、保険と保証の分析による新しい研究方法および分析手法の構築が求められている。
我々は、大江守之教授をリーダーとするSFC21世紀COEプログラム「日本・アジアにおける総合政策学先導拠点―ヒューマン・セキュリティの基盤研究を通して」の「金融工学による保険・保証の分析」グループとして、いくつかの研究プロジェクトを実施しているが、本日はその一つである「堂島帳合米の実証研究―大江戸金融工学」の研究成果と今後の見通しを紹介したい。
「帳簿上で合う」を語源とする「帳合米」とは、先物の米のことだ。日本ではあまり知られていないが、300年前の江戸期、大坂の堂島には世界で最初の先物取引市場が成立していた。しかも、今の市場に遜色ない伝達手段と決済手段を持ち、幕府の統制下に置かれることなく自主運用していたのだ。この米会所が残した1834年から1864年までのデータを分析することで、当時の経済現象を細部まで理解しようというクリオメトリックス(計量経済史)を実践できると考えた。。
先物マーケットは、現物の価格変動リスクを回避(ヘッジ)することを主な目的として成り立っているが、そのヘッジ機能が本当に働いていたのかを江戸期のデータを用いて解明するのがこの研究の主な目的である。
デイトレードだった江戸期の先物
大坂の堂島米会所は、1730(享保15)年、8代将軍・吉宗のときに公認された。現物(正米)市場と先物(帳合米)市場があり、両市場間で非常に活発に取引されていたようだ。。
当時は、余った年貢米をお金に換えようと各藩が米を大坂に運んできた。蔵屋敷に運びこまれた米は、入札によって買い手が決まっていく。小売に回る米以外は、現物ではなく購入した証拠として「米切手」を渡された。つまり米という商品。
一方、これとは別に「建物米」という指標銘柄を指定し、これを対象とした先物取引も行われていた。 堂島には当時およそ1000人の先物トレーダーがいたとされている。各々が顧客を仮に10人ずつ抱えていたら1万人が取引していたことになる。しかも、毎日決済するデイトレードだったので、一夜にして大儲けしたり大損したりと、さぞや熱気があっただろう。。
帳合米市場には、投資家として町人のような一般人も参加していたが、米の売り手である藩は参加しなかった。藩は米切手を発行することで実際の米の入荷を待たずに銀を入手することができた。「現物を保持する諸藩がリスクをヘッジするために堂島の帳合米市場が生まれた」との従来の説は誤りのようである。
年間取引日は250日。相場は春、夏、秋と3回開かれ、満期も3回設定されていた。現代ならば「乗り換え(ロールオーバー)」が可能だが、当時はすべて清算しなければならなかった。信用リスクを考慮したゆえの制度だろう。
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