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近世日本史スレ
55
:
とはずがたり
:2005/02/12(土) 17:39:28
長井浦(備後国水調郡(現御調郡))
糸崎
http://www.c-haus.or.jp/kaidou/020onomitiitozaki.htm
長井の浦 万葉歌碑
この糸崎の地は、昔から海上交通の要衝の地で、この一帯は万葉集巻15に見える「備後国水調郡の長井の浦」とされている。
尾道
http://www.joyful.gr.jp/judi/98onomichi/timei.html
尾道
「尾道」の地名の由来は、「山の尾の道」から生まれたというのが定説になっています。現在の本通り以南は埋立地ですから、昔は、大宝山〔たいほうざん〕(千光寺山)、摩尼山〔まにさん〕(西国寺山)、瑠璃山〔るりさん〕(浄土寺山)の各山が海岸に迫り、狭い帯状の土地に山の尾根伝いのかっこうで一筋の通りがあったことからだと思われます。また「尾」は、「川口」のことだという説もあることから、防地川、長江川の川口を結ぶ線が一本ついていたからだとも言う人があります。
別に「伊尾〔いお〕の道」が起源だとも言われます。1166年、世羅郡の甲山町を中心にしてできた「大田庄〔おおたのしょう〕」という荘園で収穫された米、麦の積み出し港が、尾道に指定されましたが、大田庄の中に伊尾(現在三川ダム付近)があることから「伊尾の米の道」だという一説もあります。
また郷土史家の財間八郎氏著「尾道散策」によると、作家司馬遼太郎氏は、港を生命とする尾道だから、「澪〔みお〕の道」即ち船の航路から出たものだろうという新説を立てられている。辞典を引くと澪とは、水のくまという意味で、わが国では、水脈と書いて「みお」と読み、海の船通る水路ということがのっており、「みおの道」から「おの道」となったという説です。
尾道浦・玉の浦
「尾道」の名が正確な文書に表れたのは、平安時代からのことで永保元年(1081)に「尾道浦」(西国寺文書)、仁安3年(1168)に尾道村(高野山文書)等に見られます。また万葉集にある「ぬばたまの夜はあけぬらし玉の浦にあさりするたず(鶴)なきわたるなり」の古歌に出てくる「玉の浦」は、尾道ではないかという説があります。その一例に長江を鶴の首、長いまちをその両翼になぞらえて、尾道水道に「鶴湾〔かくわん〕」という愛称もついています。また県立尾道商業高等学校、県立尾道東高等学校の校章は、鶴をデザインしたものです。
「尾道」「玉の浦」両方の名が、約900年前の西国寺古文書にあり、「尾道」の別名は、「玉の浦」であると説明した最初の記録であるといわれています。
また「玉の浦」起源説に次のようなものもあります。千光寺にある巨岩の頭に、珠玉があって、毎夜海を照らしていたと言います。その岩は、「玉の浦」「烏帽子〔えぼし〕岩」「宝珠岩」「如意岩」などの呼び名をもち、願いごとや伝説を内蔵しているので、玉のある海辺という意味から「玉の浦」という優美な名称がついたという説です。
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