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近世日本史スレ
44
:
とはずがたり
:2004/10/16(土) 12:33
江戸時代の日本は野蛮な欧米には比較にもならぬ程の先進国だったと思っている。
麻酔術「門外不出」説覆る 華岡青洲から杉田玄白一門に
http://www.asahi.com/science/update/1013/001.html
江戸時代の外科医、華岡青洲(はなおか・せいしゅう)が初めての全身麻酔手術に成功したのはちょうど200年前の1804(文化元)年10月13日。青洲の麻酔術は「門外不出」で普及しなかったとされてきたが、解体新書で有名な杉田玄白の一門に伝えられ、江戸でも乳がん手術が行われていたことを示す新資料を、松木明知・弘前大名誉教授(麻酔科)が東京都内の古書店で発見した。
新資料「療乳(がん)記」は漢文6ページの小冊子。玄白の息子、立卿(りゅうけい)の乳がん手術記録をその弟子が印刷して関係者に配ったものだ。
それによると、立卿の手術は青洲の手術から9年後の文化10年9月、江戸の玄白宅で行われた。「麻睡之剤」を用い、重さ数十グラムのがんを摘出、傷を洗い、香油を塗って縫合した。患者は6時間で意識が戻り、1カ月で回復した。青洲の弟子の宮河順達が玄白門下に入って数人に手術し、立卿が実際に見学したこと、青洲への感謝も書かれている。
青洲は弟子に麻酔術の秘密を守らせた。手術内容の記録は数件見つかっているだけで、手術は広がらなかったと考えられていた。「数え80歳」(文化9年)の玄白が30歳近く年下の青洲に出した手紙が現存し、「病人が手術の痛みに耐えられない。私は高齢なので息子たちに治療させたく、彼らが質問の手紙を出すのを許してほしい。宮河からも手紙を差し上げた」との記述があったが、玄白が単純に青洲を賞賛した手紙と見られていた。
松木さんは「医学史の空白が埋まった。新資料と合わせれば、青洲の許可を得て立卿が順達から麻酔術を学んだと考えられる。順達が江戸で手術をしたことも初めて分かったが、杉田派が加われば、かなり普及していただろう。青洲が安易な伝授を戒めたのはケチだったからではなく、患者の危険を避けるためだったと思う」という。
日本麻酔学会は、青洲の麻酔手術が世界の先駆けだったとして、10月13日を「麻酔の日」としている。
(10/13 17:32)
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