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近世日本史スレ

41とはずがたり:2004/03/21(日) 02:27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040320-00000007-khk-toh
120年前の下水道跡 野蒜築港から出土

 明治時代初期に日本初の洋式築港として、宮城県鳴瀬町の鳴瀬川河口に計画された野蒜築港を中心とする旧市街地跡で、120年前に造られた、現在の下水道に当たる悪水吐暗渠(あくすいばきあんきょ)の遺構が19日までに見つかった。土木学会東北支部「野蒜築港120年委員会」委員長の後藤光亀東北大大学院工学研究科助教授は「日本人が使用する目的で建設された極めて初期のもので、貴重な近代土木遺産だ」と話している。

 下水道跡は地表から1.5メートル下にあり、長さ約9.3メートル。切石を三段積み重ねた構造で、内径約17センチの土管が取り付けられている。当時の新聞によると、1881年に造られ、市街地計画図では市街地のメーン通り「大町通り」の真下に位置する。実際に道路の排水や生活排水を流していたと推測されている。

 土管と切石の接合部分にはセメントが用いられており、「当時としては最先端の技術を駆使した施設」(後藤助教授)という。同様の下水道施設は、野蒜築港より約10年早く横浜市の外国人居留地に敷設されているが、日本人向けの設備は初めてとされる。

 発見された場所は、近くに住む造園業安倍信悦さん(56)の土地。航空自衛隊松島基地の騒音対策のため、防衛施設庁が新年度の買収を予定している。安倍さんが土地を更地化していたところ、母の信子さん(80)が偶然見つけた。

 後藤助教授は「町や県と協力しながら周辺の採掘を進め、排水方法などの詳細を特定したい」と話す。鳴瀬町は「せっかく見つかった財産。野蒜築港を後世に残す公園づくりを計画中で、防衛施設庁と協議した上で、今後の活用策を探っていきたい」としている。

[野蒜築港] 内務卿大久保利通が東北地方を「富国強兵」「殖産興業」の重要拠点と位置付け、その一環として1878(明治11)年に着工。84年に台風に襲われ、翌年政府は築港を断念した。完成していれば、国家による日本最初の近代港湾となっていた。
(河北新報)
[3月20日7時3分更新]


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