したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近世日本史スレ

36とはずがたり:2003/11/22(土) 12:21
1613年支倉常長,イスパニア派遣
1616年ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限る
1633年奉書船以外の海外渡航を禁止
1635年日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止。

帰国した時期は不明だけど,渡航・参拝したのは鎖国令よりも前やね。
それにしてもこの時鎖国しなかったら日本はどうなって居たか?

http://www.asahi.com/national/update/1122/006.html
江戸初期の武士、アンコールワットに落書き 子孫が対面

 江戸初期の寛永9(1632)年、肥前・松浦藩士の森本右近太夫がカンボジアのアンコールワット寺院に参拝し、落書きを残した。右近太夫から数えて15代目で岡山県津山市、津山科学教育博物館長の森本信一さん(63)と妻の栄子さん(59)が21日、371年前のその落書きと対面した。

 「父母の菩提(ぼだい)のため」、「数千里の海上を渡り」などと墨字で参拝の動機が書かれ、寺に「仏像4体を奉納した」とある。夫妻を案内した石沢良昭上智大教授によると、落書きはポル・ポト時代にペンキで塗りつぶされたが、近年、ペンキが退色し、再び判読できるようになった。

 落書きを食い入るように見た信一さんは、「400年近く前に先祖が命がけで海を渡ってここに来ていたかと思うと感無量で、じーんとしました」と語った。

 アンコールワットは19世紀、フランスのアンリ・ムオが「発見した」と西洋に紹介された。右近太夫は、それより200年以上前に参拝していた。しかし、幕府の鎖国令で海外渡航が厳禁され、参拝の事実は近親者以外には極秘にした模様だ。

 信一さんは、「この訪問で右近太夫がより身近になった。その秘められた歴史を調べたい」と語った。 (11/22 09:57)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板