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近世日本史スレ

204名無しさん:2016/09/22(木) 14:19:30
>>203

江戸時代にも「アベノミクス」はあった
 元就は死ぬ前に3人の息子達を枕元に集め、三本の矢の教訓など語っていません。戦前は小学校の教科書にも紹介されていたこの話は、もともと中国の古典にある話で、それを後世の人が勝手に元就の逸話にしてしまっただけなのです。

 安倍首相の熱心なファンはこう反論するかもしれません。何百年も前の話なのだから、言ったか言わないかは誰にもわからない。失礼なことを言うな、と。

 確かに私も現場を見たわけではありませんが、これに関しては史実と異なる、と断言できます。なにしろ長男の隆元は、元就が臨終する数年前に死んでいたからです。次男の吉川元春は戦に出ていて臨終の場にはおらず、3男の小早川隆景は40歳近くになっている。これらに関してはさまざまな文献で証明されているのです。

 間違った言い伝えになぞらえているようでは、施策自身の説得力もありません。そこに不安を感じたのです。

 もちろん三本の矢の逸話がフィクションだとしても、政策そのものが的を射ていれば問題はありません。しかし、歴史的観点から言えば、この点に関してもやや疑問符が付きます。

 アベノミクスとは簡単にいえば、円を安くし、国内の物価を上げ、規制を緩和し、政府の予算を民間にばらまいて景気を良くしようという経済政策ですが、じつは江戸時代、同じような政策をおこなった藩がありました。

 徳川御三家の筆頭・尾張藩でのこと。実施したのは7代藩主宗春。ちょうど幕府では8代将軍徳川吉宗が享保の改革をしていた時期と重なります。

 よく知られているように、紀州藩主から将軍になった吉宗は、傾いた幕府の財政を立て直すため、自ら質素な木綿の服を着、食事も「一汁三菜」にして倹約につとめ、徹底的に支出をおさえました。また、庶民にも質素倹約を求め、贅沢を禁止したことは歴史の教科書でも習ったでしょう。

 いっぽうで各藩から米を供出させ(上米の制)、農民に対する税率を上げて(定免法の採用)幕府への収入を増やしました。こうした緊縮財政を長年続けたことで、見事幕府の財政を再建したのです。

 つまり、増税と財政緊縮を同時に、長い間コツコツ進める事で、ようやく財政立て直しに成功したのです。


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