したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近世日本史スレ

181とはずがたり:2014/03/05(水) 13:30:59

2013/12/2 21:21
官兵衛、幽閉への遺恨なし? 荒木村重への書状確認
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201312/0006542207.shtml

 兵庫県伊丹市は2日、来年のNHK大河ドラマで描かれる戦国武将・黒田官兵衛が伊丹の武将・荒木村重に宛てた書状を確認した、と発表した。ともに織田信長の家臣だったが、村重は信長に反旗を翻し、説得に訪れた官兵衛を有岡城に幽閉。“敵同士”のイメージが強いが、有岡城落城4年後の書状からは、豊臣秀吉の下で協力する2人の姿が浮かび上がる。

 同市によると、書状は京都市の光源院所蔵で、1583(天正11)年11月12日付。光源院は当時、現在の鳥取県にあった領地を地元豪族に奪われたため、秀吉に茶人として仕えていた村重に調停を願い出ていた。

 村重は、中国地方の領地問題を担当していた官兵衛に意見を求めたとみられ、この書状は官兵衛からの返事。解決への協力を約束した上で、「(秀吉の)お供で姫路においでになると思っていたが、おいでにならず残念。機会があれば会うことを考えている」などと記されている。

 書状の存在は昭和初期の歴史書に記載されていたが、検証されたことはなかった。神戸女子大の今井修平教授(日本近世史)によると、所蔵の書状は原本の写しで、村重が光源院へ送った可能性があるという。

 今井教授は「幽閉後の2人の交流を示す唯一の史料。官兵衛は非道な扱いをされた印象があるが、両者には一定の信頼関係があったことが分かる」と分析している。(太中麻美)

2013/12/2 20:13
黒田官兵衛、幽閉後も親しく 村重への手紙写し発見
http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201312/0006542026.shtml

 兵庫県伊丹市にあった有岡城に約1年間閉じ込められた戦国武将黒田官兵衛が、幽閉した武将荒木村重に宛てた手紙の写しが見つかり、伊丹市が2日発表した。幽閉後の手紙が見つかるのは初めてで、調査した神戸女子大の今井修平教授は「2人は手紙をやりとりしていたようだ。幽閉があっても、親しい間柄だったのがよく分かる」と話している。

 手紙は天正11(1583)年11月12日に書かれたとみられる。。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板