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近世日本史スレ
179
:
とはずがたり
:2014/01/04(土) 17:14:22
官兵衛生誕地つばぜり合い 姫路市、西脇市 大河ブーム見越し譲らず
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140104067.html
産経新聞2014年1月4日(土)15:25
5日から放映が始まるNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる戦国武将、黒田官兵衛(1546〜1604年)の生誕地をめぐり、兵庫県の姫路市と西脇市がアピール合戦を繰り広げている。姫路市が、黒田家の正史に官兵衛が姫路城生まれとの記述があるのに基づき、「ひめじの官兵衛」を打ち出すのに対し、西脇市の住民らは地元の寺に伝わる古文書に官兵衛が姫路城主の養子となったと記されていることから「こちらが生誕地」と主張。互いに官兵衛ブームを観光客誘致やまちおこしにつなげようと意気込む。
◆「姫路城生まれ」
「ひめじ官兵衛」。姫路市ではメーンストリートの大手前通りや繁華街のみゆき通り商店街など至る所にこうした文言の旗やのぼりが掲げられ、官兵衛が姫路生まれだとPRする。
その根拠は江戸時代の儒学者、貝原益軒が編纂(へんさん)を始めた「黒田家譜(かふ)」で、官兵衛が「姫路城で生まれた」と記されていることだ。同市教委文化財課の担当者は「学会では家譜が黒田家の正史と考えられ、それに基づいた理解をしている」と話す。
市観光交流推進室の担当者は「大河ドラマを観光客誘致につなげるためにも『ひめじの官兵衛』というイメージは大切」と明かす。姫路観光の目玉である姫路城は「平成の大修理」の真っ最中。修理用建屋を解体するために併設の修理見学施設「天空の白鷺(しらさぎ)」が15日で閉館した後は、大天守に再び登れるようになる平成27年春まで観光客の減少が懸念される。その間の観光資源として、官兵衛ブームを活用したい思惑がにじむ。
◆「城主の養子に」
姫路市に対し、「こちらが生誕地」と主張するのが西脇市黒田庄町。
25年4月、住民ら約30人で結成した「北播磨黒田官兵衛生誕地の会」(森脇昇太郎会長)は、地元のJR本黒田駅に「黒田官兵衛生誕地」と記した看板を設置した。「黒田の里 官兵衛まつり」などのまちおこしを行っており、森脇会長は「地域をあげて全国に発信していければ」と意気込む。
同会や市が根拠に掲げるのが、地元の寺で保管される古文書「荘厳(しょうごん)寺本黒田家略系図」だ。播磨黒田家の関係者の名前や役職、死亡年月日、法名などが記され、当時「小寺」姓を名乗った姫路城主、黒田職隆(もとたか)の養子になったという「孝隆(よしたか)」の記述があり、これが官兵衛だとしている。
略系図は播磨黒田家の家系を抜粋したもので、「巳之二月」の記述から文化6(1809)年2月の作成とみられる。平成23年に姫路市で行われた官兵衛関連のイベントに出展され、研究者の目に留まったことがきっかけで脚光を浴びた。
◆議論が相乗効果?
さらに25年7月、西脇市に近い小野市立好古館が黒田庄生誕説を後押しする古文書の記述を発見。小野藩主の先祖である一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)について書かれた「一柳家文書」の一つ「丙午録(へいごろく)」に、官兵衛が小寺職隆の娘を妻とし、養子となった−と記されていたという。
職隆の養子となったくだりは黒田家略系図の記述とも一致し、一柳家文書は史料的価値や信憑(しんぴょう)性も高いとされる。
略系図を保管する荘厳寺の堀井隆海住職(67)は「西脇生誕説はかなり信用度がある」と話す一方で、「姫路市と西脇市がアピールを繰り広げながら官兵衛ブームを盛り上げていってほしい」と期待を寄せる。姫路市側も「生誕地をめぐる議論が盛り上がって、結果的に官兵衛ブームが起こればいい」と話しており、両市の生誕地争いはさらに白熱しそうだ。
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