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近世日本史スレ
158
:
荷主研究者
:2012/07/01(日) 10:52:12
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/302421
2012年5月16日 00:46 西日本新聞
「女男石」存続ピンチ 朝倉市・小石原川 県道拡幅へ進む埋め立て計画
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/20120516np302421.jpg
江戸時代初期に築造された「女男石護岸」。手前の二つに割れた巨石が「女男石」
現在の朝倉地域一帯を治めた秋月藩初代藩主・黒田長興(ながおき)(1610〜65)が、江戸時代初期に小石原川に築いた「女男石(めおといし)護岸」を、県道拡幅工事で埋め立てる計画が進んでいる。同護岸は川の水流を緩める土木遺構で、地名にも名を残す地域の象徴。県道拡幅は通学路の安全確保を求める住民の要望がきっかけだっただけに地元に困惑が広がる一方、識者からは保存を求める声が上がっている。
女男石護岸は、小石原川の流れがほぼ直角に曲がる朝倉市長谷山(はせやま)、千手(せんず)両地区付近の旧秋月街道沿いに位置。一対の巨石「女男石」と周辺の石積み護岸のほか、川底にも「捨て石」と呼ばれる巨石を配置し、今も現役で水流を受け流す働きをしているという。
同市文化課によると、女男石護岸は初代藩主の長興が家老の堀平右衛門に命じた治水・利水事業とされ、1620年代の築造と考えられるという。福岡藩の儒学者、貝原益軒がまとめた「筑前国続風土記」に「婦夫(めおと)石」として記述されるなど江戸期から名所として知られ、地元の小字名「女男石」の由来にもなった。文化財指定はされていないが、同課は「400年近くも水流を制御し続けてきた極めて貴重な水利土木遺構」としている。
一方で、女男石の脇を通る県道594号は道幅が狭く、5年前には登校中の児童が車にはねられる重傷事故が発生。住民の間で県道拡幅を求める機運が高まったという。
県朝倉県土整備事務所によると、工事区間は全長440メートル。女男石付近の数十メートルの区間では、道路沿いに建物がある側ではなく、川側に向かって拡幅することとし、女男石護岸や川の一部を埋め立てるという。同整備事務所は「拡幅は住民の要望に基づくもの。工事区間に指定された文化財はない」とし、昨年度から用地買収を進めている。着工時期は未定という。
近くの40代女性は「子どもたちの安全か、史跡かと問われたら、安全が大事だが、女男石も大切なふるさとの歴史遺産。工事のルートを変更して、どちらも守ってほしいというのはぜいたくな望みなのか」と戸惑う。
事態を把握した県文化財保護課と同市文化課は、遺構の保存を求めて同整備事務所と協議中。同整備事務所は「有識者の現地調査が行われており、女男石の文化財的価値が整理された段階で(ルート変更などの)具体的な提案があれば、無視はできない」としている。
女男石護岸を現地調査した九州大大学院の島谷幸宏教授(河川工学)は「女男石は治水の要。護岸、捨て石、対岸の形状などと一体で水流をうまく制御している」と評価。林重徳・佐賀大名誉教授(土木工学)は「土木構造物として価値が高く、自然と調和した景観も素晴らしい。壊さず、生かす方策を探れないか」と話している。
=2012/05/16付 西日本新聞朝刊=
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