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近世日本史スレ

140荷主研究者:2010/05/21(金) 00:18:43

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/171487
2010年5月14日 00:55 西日本新聞
鍋島家の重臣 神代家文書目録を刊行 島原の乱など 未公開260点収録 財団法人「鍋島報效会」

 佐賀藩鍋島家の重臣・神代家(くましろけ)の未公開史料をまとめた「神代家文書目録」を、佐賀市の財団法人「鍋島報效会(ほうこうかい)」が刊行した。所蔵の関係文書全260点の目録を収め、同家や佐賀藩の歴史を知る上で特に貴重とされる121点を翻刻(ほんこく)。同家の歴史や文書の内容を分かりやすく説明した解説文もあり、同会は「調査・研究用としてだけでなく、佐賀の歴史を知る一助として、多くの人に活用してほしい」としている。

 福岡県筑後地方の一領主だった神代家は、戦国時代初期に肥前に移住。神代勝利(1511−65)が神埼、佐賀、小城の山間部に勢力を拡大した。平野部を拠点とした戦国大名・龍造寺隆信と敵対と和睦(わぼく)を繰り返した後、服属。江戸期に入り佐賀藩鍋島家に仕え、養子縁組などで鍋島家と関係を深めていった。

 佐賀藩で神代家は小城、蓮池、鹿島の3分家に次ぐ家格(かかく)「親類(しんるい)」に位置した。文書は中世から近世期の幅広い史料群で構成。「中世」「家」「島原の乱」「長崎警備」「由緒」「戦功」など10項目に分け、文書を紹介している。

 このうち、島原の乱(1637−38)では乱終結後、藩主鍋島勝茂が神代常親にあてた「覚」に、原城攻めで鍋島家が“抜け駆け”の軍律違反に問われ、江戸幕府方の総大将だった老中・松平信綱などに相談した様子が記された。また、長崎警備では1673年の英国船リターン号の長崎来航で、対処策や警備内容の他言禁止を命じた文書などがある。

 A4判、107ページ。佐賀市松原2丁目の鍋島報效会で千円で販売している。同会=0952(23)4200

=2010/05/14付 西日本新聞朝刊=


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