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近世日本史スレ

133とはずがたり:2009/12/06(日) 02:34:33

このスレかな??

「幻の金山」金あった
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000000912020002
2009年12月02日

古絵図を見ながら、砂金が見つかった場所を指し示す高橋善之所長(右)と小林勉会長=北秋田市鷹巣

「幻の金山」と呼ばれる大館市の長慶金山跡地の沢から砂金が見つかった。古絵図をもとに、仲間と80粒近くを発見した県北教育事務所の高橋善之所長(56)が1日、会見して明らかにし、「長慶金山は本当の金山だった」と語った。地元の人たちは「さらに調査を進め、地域おこしにつなげたい」と盛り上がりを見せている。(江川慎太郎)

 長慶金山は同市田代地区の最奥部、青森県境にあって江戸時代の後期に閉山したとされる。古絵図発見を知らされた高橋所長は、自ら主宰する砂金研究会の仲間と3人で11月29日に現地入り。専用の道具を手に沢筋を約100メートルにわたって4時間近く探したところ、3人ともそれぞれ30粒近くを採取することができたという。高橋所長は2年前にも現地に入ったが、そのときは「4粒しか見つからなかった」と語った。

 長慶金山は江戸時代、秋田藩の隠し金山で、18世紀後半、天明年間のころに閉山したともいわれるが、はっきりしない。幕府からの追及を恐れ、200人近い坑夫たちを生き埋めにしたとの言い伝えが残る。資料が極端に少なく「幻の金山」と呼ばれ、ロマンをかき立てられた人や企業が現地に入り、何度も現地調査を試みてきた。しかし採算が取れるような有力な鉱床は見つかっていない。
 会見に同席した田代郷土史会の小林勉会長によると、長慶金山を描いた古絵図は今夏、市内にある民家の蔵で見つかった。縦86センチ、横60センチで長慶金山の別称「長間金山」の文字がある。金山や周辺の坑口や坑道、沢筋、山道が着色で描かれ、細部がわかる内容。保存状態は良好で、もともとは江戸時代後期に描かれた可能性がある。

 奥州藤原氏を中心とした日本史研究に力を入れている高橋所長は、東北地方を中心に450カ所以上、砂金採取に行っている。今回、高橋所長は、見つかった古絵図に「金場跡砂金多分(多く)アリ」と書いてある金山そばの沢で調査し、採取につなげた。

 小林会長ら田代郷土史会のメンバーたちも、古絵図発見を受けて11月26日に現地を訪ねて砂金採取も実施したが、砂金は見つからず、空振りに終わっている。

 高橋所長の採取成功に小林会長は「胸が高鳴る思いだ。現地調査や資料収集を進め、長慶金山をめぐる多くの謎を解明したい。金山に多くの人たちが関心を持てるようになれば、うれしい」と語った。


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