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近世日本史スレ
100
:
荷主研究者
:2006/12/31(日) 16:50:46
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/saga/20061014/20061014_001.shtml
2006/10/14付 西日本新聞朝刊
動力水車の排水路? 遺構確認 大砲製造“秘密工場”か 「鍋島藩内密に」の指摘も
河川改修工事に伴う発掘調査で見つかった地下水車の排水路とみられる遺跡
武雄市教委は13日、河川改修工事に伴う発掘調査を続ける同市武内町真手野の土中で、江戸時代末期に佐賀・鍋島藩武雄領で行われたとされる洋式大砲製造の際、旋盤加工の動力源となった地下水車の排水路とみられる遺構を確認した。当時、大砲製造には徳川幕府の許可が必要で、鍋島藩の“秘密地下工場”が付近にあったことを示す遺構として注目を集めそうだ。
遺構は地表から約3メートルの土中で発見された。幅95センチ、深さ6‐8メートルで、石材で囲った排水路が約10メートル続いていた。
発掘現場周辺は、古老らの言い伝えで、火薬原料の硝石を粉末化する石臼を回す水車があったとされてきた。1974年には農地整備の工事で地表から1.6メートルの土中で取水路跡が見つかっており、地下に水車を設けて動力源にしていた可能性が指摘されていた。
すでに、鍋島家が武雄市に寄贈した古文書などから、武雄領では水車を利用した大砲の旋盤作業が行われていたことが判明。市教委は、幕府に内密で大砲を造るため、長崎街道から離れた武内町の地下に“秘密工場”を設けた可能性があるとみている。
同市教委文化財係の原田保則係長は「遺構は形状などから地下水車の排水路跡とみられるが、今後、整備の年代などを分析し、武雄における大砲製造の全容を解明したい」と話している。
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