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統一地方選・地方議員関連統一スレッド

6794とはずがたり:2007/10/29(月) 01:33:05
>>6792-6794

●出口(でぐち) 清(きよし)氏 (61)=無新
元技術職、唯一の革新

 三十頭の牛を飼う酪農家の長男だったが、「腕試しでたまたま合格した」ため、東京電力の企業内学校の高等部に進学。卒業後に技術職で採用された。火力発電所の運転操作や補修が専門で、東電労組千葉火力総支部の書記長なども歴任した。

 地域活動に熱心で、PTA役員や青少年相談員として活躍。労組と地域の両方から推される形で一九九二年に市議となり、四期連続で当選した。今回は唯一の革新系候補だが、「時間が限られているので、企業の労組よりも市民に直接訴えたい」と力を込める。

 五井火力発電所に勤務していた二十代前半に、五人一組のボート競技で三年連続の国体出場を果たした。「夜勤後に練習したり、練習後に夜勤をしたりで大変だった。その経験が今の自分に生きている」と振り返り、「全力を尽くす」を座右の銘にしている。

 政策研究が好きで、「趣味といえるほど楽しい」という。アクアラインを活用した地域活性化方策も発表した。“技術屋”らしく、政策にはきっちりと数値目標を盛り込む。袖ケ浦市野里。

●御園(みその) 豊(ゆたか)氏 (59)=無新
衆院議員3氏に仕え

 君津農林高校を卒業して農業に従事。自民党の衆院議員水田三喜男氏を祖父が後援した縁で、大蔵大臣を務める水田氏の地元秘書になった。「先生は雲の上の存在だったが、『農業をどうしたらいい?』と気さくに聞いてくれた。『政治はこびずおごらず』という言葉を今も肝に銘じている」と話す。

 二十代のころから国政の現場を経験し、田中角栄元首相が企画した「自由民主党洋上大学」にも参加。東南アジアを大型船で巡りながら、時の大臣から政治の講義を受けた。秘書生活は公設も含め約二十年間。計三人の衆院議員に仕えた。その後県議選に二回挑戦。一九九一年の選挙では当選まであと一歩に迫った。

 さまざまな団体の役員を務め、現在も十三の肩書を持っている。「中途半端はせず、信念を曲げない性格。でも、人から頼まれると断れない」と自己分析する。

 中学、高校は陸上部で駅伝の選手だった。趣味は植木と古美術という。家族は妻と、大学生の娘が三人。「家の中では女性に押され気味」とはにかむ。袖ケ浦市林。

●高瀬(たかせ) 泰治(たいじ)氏 (66)=無新
農協トップに18年間

 千葉工大を中退後、船橋市の土木会社に勤務。二十代半ばで牛乳販売業を始めた。市内の埋め立て地に次々と工場が建てられた時勢に乗って、事業が成功。「二千−三千人が働く工事現場には水が無かった。だから牛乳が飛ぶように売れた」と当時を振り返る。

 その後袖ケ浦町議になり、四十三歳で袖ケ浦農協の組合長にも就任。約三千人の組合員を十八年間束ねた。若いころから活躍してきた“やり手”で「温厚な調整型リーダー」と自己分析する。

 二〇〇二年に市の助役になったが、農協から保証債務の弁済を求める民事訴訟を起こされて辞職。在任期間は一年九カ月と短かった。「市長に迷惑をかけまいとの一心で辞めた。あの問題がなければ今回も大差で勝てたのに」と唇をかむ。

 海軍にいた父親が幼いころに戦死。苦しい生活を知るだけに、「努力」を座右の銘にしている。地域の世話役として最近は趣味を楽しむ暇もないが、以前は週六回ゴルフ場に通ったという。柔道も初段の腕前で「首から下には自信がある」と笑う。袖ケ浦市代宿。


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