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統一地方選・地方議員関連統一スレッド
4747
:
やおよろず
:2007/01/31(水) 15:44:50
以前は街で会うと熱っぽく手を振ってくれた人たちが、一歩引いた態度で接してくるようになった。
「厳しいだろうとは思っていたが、予想以上だった。つらいし、さびしい」
升田世喜男(せきお)(49)は昨年12月、かみしめるように語った。
05年の衆院選青森1区で落選してから1年余。
元自民党県議は次の衆院選を目指して、この日も青森市内を回った。
87年から小泊村(現中泊町)の村議に連続3期当選。
当時から国政への関心を抱いていた。
「野球でいうと、直接プレーはしないけど、ルールを決めるのが国会。そこで法律を変えて、地方がよくなっていく。そういう仕事をしてみたかった」
99年、北津軽郡から県議選に出て初当選し、次の03年県議選で再選を果たした。
自民党の組織を知るにつれ、国政への思いはより強くなった。
「たとえば知事選の候補者を決める際、県議も話に加わるが、やはり国会議員団の判断が大きい。そこさ行って、より影響力のある政治家になって郷里に貢献したかった」
さらに、2人の人物が升田を刺激した。
一人は現民主党衆院議員の横山北斗(43)。
03年知事選で善戦し、その後の衆院選で青森1区から出ることが決まっていた。
もう一人は、自民党衆院議員津島雄二(76)の長男。
05年夏、東京から青森市の津島事務所に入って秘書となり、津島の後継と目されていた。
「2人は東京から来た『旅の人』。地方分権の時代、最も地域に根ざした政治家が国政に出るべきではないか」。
漁師の息子として育ち、村議も経験してきた升田は釈然としなかった。
05年の8月8日。
県内を車で移動中だった升田は、車のテレビにくぎ付けになった。
突然の「郵政解散」。
どよめく議場に、たかぶる気持ちを抑えられなかった。
この日夜、後援会幹部を集め、立候補を宣言した。
民主は横山、自民は結局、津島本人が立候補した。
「勝てるのか」との声もあったが、升田はこう踏んだ。
横山と津島への批判票を集めれば勝てる、と。
翌日に記者会見。
自民党を離党して無所属で立ち、世代交代を訴えた。
マスコミの情勢調査は津島と横山の接戦を伝えていた。
升田は厳しさを感じながら、希望は捨てていなかった。
結果は、津島9万4072票、横山7万9323票。
升田は2万6380票と惨敗だった。
「3万にも届かなかった。ショックだった」。
3回の村議選、2回の県議選ですべてトップ当選を続けてきた政治家の、初めての挫折だった。
人口の多い青森市でいま一つ、浸透できなかったようだ。
新年。冷たい風が吹く青森市中心部の新町に、再起をかけて叫ぶ升田の姿があった。
「一にも二にも、地元のことを考えたい」。
演説を終えて宣伝カーに乗ってもマイクを離さなかった。
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000240701070001
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