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統一地方選・地方議員関連統一スレッド

2279とはずがたり@2002年岐阜市長選:2005/08/17(水) 14:19:34

>「将来の中選挙区制復活をにらんだ野田・武藤の代理戦争」と、とらえる関係者も。

民の風・官の城へ 細江岐阜市政を追う」《第1部 市長誕生》
http://www.jic-gifu.or.jp/np/newspaper/kikaku/min/min5.htm
自民分裂、激戦に拍車

 2002年1月24日、岐阜市長選の推薦を最終決定する自民党市連の総務会。執行部会の原案を発表した後、会場の岐阜会館にとげのある言葉が飛び交った。「勝手にそっちで決めるな」「うちの校区に候補者を入れないでくれ」。校区支部長の多くは既に3陣営に分裂しており、どう結論付けても反発は免れない。会長の1区選出衆院議員・野田聖子は、ただ発言者をなだめるしかなかった。
 同党市連は1月初め、市長選常任対策会議を設置し、支部推薦のあった平野恭弘、森川幸江、細江茂光の3人について党推薦を検討した。しかし既に党内勢力は分裂。条件に「党籍を持つ」ことが加わると、森川、細江がすぐ入党し、同会議メンバーに支持者が多い自民党県議・平野が推薦される流れに対抗した。
 市連は24日、野田に一任する形で平野を推薦し、「他候補を応援してもペナルティーを加えない」ことで決着。ただ党関係者は「やはり推薦という“お札”の威力は大きい」と。すでに支持者の一部が森川を推していた野田、態度を決めかねていたほかの国会議員、県議らも平野支持の方向性を表面に出し始めた。
 これに対し、3区選出の衆院議員・武藤嘉文は別の動きを見せる。武藤周辺では昨年1月の前回市長選に向けて、一昨年秋ごろ一部のロータリークラブなどが、武藤の二男の擁立に動いている。その後、擁立話は立ち消えとなったが、武藤の岐阜市に対する関心を指摘する声は多かった。
 武藤は2月3日、市内の後援組織による新春互例会を開き、出席者に細江を紹介。「細江の義母と親しい」という武藤夫人が前面に立ち、細江支援を打ち出した。
 武藤サイドの関係者は選対の中心ではなかったというが、「将来の中選挙区制復活をにらんだ野田・武藤の代理戦争」と、とらえる関係者も。自民党勢力は、かつてない複雑なモザイク模様を見せていた。
 元市議の吉田好成、共産党系の岩田多加子を含め、有力候補は5人。勝ち馬が見えない中、公明党は支持を明らかにできず、状況はほぼ横一線となってきた。各陣営が互いに朝立ちや集会をぶつけ合うなど、前哨戦は過熱しており、「有効投票数の4分の1を誰も獲得しないと再選挙」という話まで、現実味を持って語られ始めていた。=敬称略、肩書は当時=
 (岐阜市政取材班)


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