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都市計画道路・高速鉄道スレッド
2642
:
とはずがたり
:2014/12/28(日) 19:23:04
高橋ユリカ
http://yurika-net.sakura.ne.jp/
人間中心の暮らし願ったジャーナリストの死
http://www.asahi.com/and_w/life/SDI2014090244201.html?iref=com_fbox_d2_05
文 保坂展人
2014年9月2日
8月20日朝、「訃報」と題したメールを受け取ってドキリとしました。もしや、と思いながら開くと、やはり、ユリカさんが亡くなったという知らせでした。
<高橋ユリカさんは、長年ガンと闘って来られましたが、今年に入ってから体調が思わしくなく、自宅ならびにホスピスで療養を続けられました。しかし、今月に なって急に体力を落とされ、ついに今朝4時に静かに息を引き取られたそうです。 懸案の下北沢の本の原稿を最後まで執筆され、完成を楽しみにされていましたが、力尽きたという感じです>
発信元は、ユリカさんと一緒に『シモキタらしさ――まちと暮らしの未来を拓く』という本を執筆していた建築家の小林正美さんでした。
私はかつて、超党派の国会議員でつくる公共事業チェック議員の会の事務局長をしていたので、ジャーナリストのユリカさんとは議員会館でよく顔をあわせました。ユリカさんは熊本県の川辺川ダムを取材していて、国土交通省ヒアリングの時には、いつもその姿がありました。2008年に蒲島郁夫・熊本県知事が劇的な「川辺川ダム計画白紙撤回」宣言をするまでの42年間、巨大公共事業計画に翻弄(ほんろう)され続けた住民たちの声を拾い、『川辺川ダムはいらない 「宝」を守る公共事業へ』 (岩波書店)という本にまとめています。
久しぶりに再会したのは、世田谷区長に就任した2011年春のことでした。ユリカさんは下北沢に住むひとりとして、小田急線の地下化にともなう連続立体交差事業にからんで市民の側からまちづくりの提案をする活動の中心にいました。「小田急線の跡地を考える会」をつくり、その後に「グリーンライン下北沢」 の代表をつとめていました。ジャーナリストとしての活動のかたわら、民主主義を担う市民としても積極的に活動されていました。
ニューヨークの「ハイライン」について詳しく教えてくれたのもユリカさんでした。マンハッタンで古い貨物列車が通っていた高架線が、若者たちを中心にした「保存・活用」の声を受けて、いったん撤去が決まりながらも、人々が散策する公園として整備されたというのです。現地に飛んで取材してきたユリカさんがいつものように早口でまくしたてる報告を聞きながら、心を動かされたことを覚えています。
昨年3月。小田急線は地下にもぐり、地上の線路を走る小田急線の最終電車がニュースになりました。その日のことは、私も「カオスのまち・下北沢の変わらぬ魅力」(2013年4月2日)と題してこのコラムで書きました。
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