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都市計画道路・高速鉄道スレッド
1
:
■とはずがたり
:2002/12/21(土) 09:07
都市計画に関するスレッド。田舎の道路開通も可。
2057
:
荷主研究者
:2012/05/19(土) 17:26:23
http://mainichi.jp/area/okayama/news/20120412ddlk33010495000c.html
毎日新聞 2012年04月12日 地方版
スコープ2012:倉敷市政の課題/上 どうなる?鉄道高架化/岡山
◇着工準備から14年 進まぬ区画整理 県、着手認めず
JR倉敷駅東側の寿町踏切は「県内有数の開かずの踏切」と呼ばれる。駅南側の国道429号から北側の倉敷チボリ公園跡地にできた大型商業施設に入る最短コースで、多くの車や人が行き交う。解決策の一つとされるのが鉄道高架化だ。鉄道で分断された中心市街地の南北を高架でつなげる計画だが、着工準備に入って14年たった今も進まない。過去にさかのぼると、倉敷駅周辺の高架事業の特異な側面が浮かび上がった。【小林一彦】
「元々倉敷は45年前に高架事業に乗り遅れたんです」。元倉敷市助役の室山貴義さん(83)は指摘した。倉敷、児島、玉島の旧3市合併で新倉敷市が発足した67年。室山さんが市企画課長だった時に旧国鉄から打診があった。「伯備線の高架事業に合わせて倉敷駅周辺の高架をしませんか」。現在、岡山方面から倉敷駅に入る伯備線の列車は駅手前の高架で山陽線の線路を南から北にまたいで地上の伯備線ホームに着く。それ以前は山陽線を横切っていた。旧国鉄の担当者は当時、「伯備線だけやりますが、後で駅周辺を高架にする時には支障になりますよ」と警告した。
室山さんは市長らに伝えたが、答えは「しない」。財政的に苦しかったためだ。当時、水島地区への企業誘致に固定資産税を3年間免除した。税収がないのに企業進出や人口増に対応した道路や水道整備などの支出は増える一方。高架に踏み切れる状況でなかった。
◇
乗り遅れた高架化が持ち上がったのは、91年の故渡辺行雄市長就任後だ。「渡辺市長の“倉敷駅地下ぶち抜き”構想が発端だった」。当時、市建設局長だった中戸哲生さん(76)=現・早島町長=は振り返る。
就任直後の渡辺市長は「倉敷駅の地下に幹線道路を通し、南北をつなぐ」と発言し、物議を醸した。駅の南側は倉敷国際ホテルの北側付近から道路を少しずつ下げ、駅北側は、今は大型商業施設のあるクラボウ工場跡地の真ん中を貫くことになる。中戸さんは「無理な話だった」という。
ところが渡辺市長は中戸さんに何度も「考えろ」と指示した。困った中戸さんが考えたのが鉄道高架事業との比較だった。当時、県から市に出向していた部長に内々で高架事業費用の計算を依頼。以前1000億円ともいわれた工費は「工法の工夫などで半額程度」と見積もりが出た。
中戸さんが「安くはないが不可能ではない」と報告すると、渡辺市長は「それはいい話」と喜び、JRや県、国への働きかけを始めた。国が倉敷の高架を「新規着工準備箇所」としたのは98年。在職中だった渡辺市長の死去から2年後だ。しかし、事業主体の県は「市による駅周辺土地区画整理事業が進んでいない」として都市計画決定せず、今も「準備」の文字は消えていない。
◇
15日告示の倉敷市長選で最大の争点となりそうなのが倉敷駅周辺の鉄道高架事業問題だ。計画のルーツを検証し、問題点を探った。
2058
:
荷主研究者
:2012/05/19(土) 17:26:49
http://mainichi.jp/area/okayama/news/20120413ddlk33010579000c.html
毎日新聞 2012年04月14日 地方版
スコープ2012:倉敷市政の課題/下 南北の一体化、急務 踏切の安全性確保も/岡山
JR倉敷駅東側の寿町踏切で2月2日午後。遮断機が降りて、和歌山ナンバーの車が閉じ込められた。近くで理容店を営む山田靖男さん(67)が遮断機を持ち上げようと走ったが、ドライバーは車から降りて踏切の非常ボタンを押し、接近中の下り列車は手前で止まった。駅北側の大型商業施設は昨年11月に開業したばかり。山田さんは「正月三が日だけで6回は車が閉じ込められた」と話す。そして「鉄道高架化が実現しないなら(道路を線路の下に通す)アンダーでもいい」と対策を求める。
同駅周辺の高架事業が都市計画決定されないのは高架と一体の土地区画整理が進まないためだ。「進展しないと高架工事中の仮設線路の用地も確保できない」(県都市計画課)。しかし、問題の根源は高架計画の生い立ちと深く関係している。
◇
元倉敷市建設局長で後に助役も務めた中戸哲生さん(76)=現・早島町長=は「国が倉敷の高架を『新規着工準備箇所』としたのが異例だった」という。JR、市のほか、国、県も費用負担する鉄道高架事業は通常、区画整理などまちづくりの後に着工する。
なぜ異例だったのか。中戸さんは「高架実現に動いた故渡辺行雄市長と故長野士郎知事の関係が良好だったことと、地元選出の故橋本龍太郎総理の誕生」を挙げた。「橋本首相から『応援しよう』と返事をいただいた」
だが倉敷市は、せっかくの好機を生かせなかったという。区画整理で新たな道路など公共用地用に土地が取られ、所有面積が減ることに住民の抵抗が強い。前市長も現市長も何度か現地に出向いたが合意に至っていない。中戸さんは「トップは何度も住民に頭を下げて熱意を示す必要がある」と指摘する。
◇
渡辺市長と長野知事は、倉敷チボリ公園建設を推進したコンビだった。市が賛否で割れる中、半ば強引にJR倉敷駅北口のクラボウ工場跡地に公園を誘致し97年に開園した。だが多額の税金投入にもかかわらず経営難で08年末に閉園した。
その後に大型商業施設が進出。かつて「鉄道で分断された南北一体化」という場合、寂れた駅北側の開発推進を意味した。大型商業施設が目立った集客効果を上げる今、「北のにぎわいを南にも」に変わった。南北一体化を進め、踏切の安全性を確保するには何が必要か。
長年の課題が、15日に告示される市長選の争点として改めてクローズアップされている。【小林一彦】
==============
◆JR倉敷駅周辺高架化構想の経過
91・ 2 渡辺行雄氏が倉敷市長に初当選
7 岡山市がチボリ事業から撤退
9 長野士郎知事がチボリ公園の倉敷誘致方針表明
92・ 9 長野知事がクラボウ工場跡地へのチボリ立地を正式表明
95・ 2 チボリ公園誘致の賛否が争点の倉敷市長選で、渡辺氏が辛勝・再選
96・ 1 橋本龍太郎氏が首相就任
4 渡辺市長死去
5 再びチボリ問題が争点の市長選で、渡辺氏後継の中田武志氏が辛勝
96・11 長野知事が6期で引退
97・ 7 倉敷チボリ公園開園
98・ 4 JR倉敷駅周辺の山陽線と伯備線の高架が国の新規着工準備箇所に
7 橋本内閣総辞職
05・ 4 水島臨海鉄道も着工準備箇所に
08・12 倉敷チボリ公園閉園
11・11 チボリ公園跡地に大型商業施設開業
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