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都市計画道路・高速鉄道スレッド
2057
:
荷主研究者
:2012/05/19(土) 17:26:23
http://mainichi.jp/area/okayama/news/20120412ddlk33010495000c.html
毎日新聞 2012年04月12日 地方版
スコープ2012:倉敷市政の課題/上 どうなる?鉄道高架化/岡山
◇着工準備から14年 進まぬ区画整理 県、着手認めず
JR倉敷駅東側の寿町踏切は「県内有数の開かずの踏切」と呼ばれる。駅南側の国道429号から北側の倉敷チボリ公園跡地にできた大型商業施設に入る最短コースで、多くの車や人が行き交う。解決策の一つとされるのが鉄道高架化だ。鉄道で分断された中心市街地の南北を高架でつなげる計画だが、着工準備に入って14年たった今も進まない。過去にさかのぼると、倉敷駅周辺の高架事業の特異な側面が浮かび上がった。【小林一彦】
「元々倉敷は45年前に高架事業に乗り遅れたんです」。元倉敷市助役の室山貴義さん(83)は指摘した。倉敷、児島、玉島の旧3市合併で新倉敷市が発足した67年。室山さんが市企画課長だった時に旧国鉄から打診があった。「伯備線の高架事業に合わせて倉敷駅周辺の高架をしませんか」。現在、岡山方面から倉敷駅に入る伯備線の列車は駅手前の高架で山陽線の線路を南から北にまたいで地上の伯備線ホームに着く。それ以前は山陽線を横切っていた。旧国鉄の担当者は当時、「伯備線だけやりますが、後で駅周辺を高架にする時には支障になりますよ」と警告した。
室山さんは市長らに伝えたが、答えは「しない」。財政的に苦しかったためだ。当時、水島地区への企業誘致に固定資産税を3年間免除した。税収がないのに企業進出や人口増に対応した道路や水道整備などの支出は増える一方。高架に踏み切れる状況でなかった。
◇
乗り遅れた高架化が持ち上がったのは、91年の故渡辺行雄市長就任後だ。「渡辺市長の“倉敷駅地下ぶち抜き”構想が発端だった」。当時、市建設局長だった中戸哲生さん(76)=現・早島町長=は振り返る。
就任直後の渡辺市長は「倉敷駅の地下に幹線道路を通し、南北をつなぐ」と発言し、物議を醸した。駅の南側は倉敷国際ホテルの北側付近から道路を少しずつ下げ、駅北側は、今は大型商業施設のあるクラボウ工場跡地の真ん中を貫くことになる。中戸さんは「無理な話だった」という。
ところが渡辺市長は中戸さんに何度も「考えろ」と指示した。困った中戸さんが考えたのが鉄道高架事業との比較だった。当時、県から市に出向していた部長に内々で高架事業費用の計算を依頼。以前1000億円ともいわれた工費は「工法の工夫などで半額程度」と見積もりが出た。
中戸さんが「安くはないが不可能ではない」と報告すると、渡辺市長は「それはいい話」と喜び、JRや県、国への働きかけを始めた。国が倉敷の高架を「新規着工準備箇所」としたのは98年。在職中だった渡辺市長の死去から2年後だ。しかし、事業主体の県は「市による駅周辺土地区画整理事業が進んでいない」として都市計画決定せず、今も「準備」の文字は消えていない。
◇
15日告示の倉敷市長選で最大の争点となりそうなのが倉敷駅周辺の鉄道高架事業問題だ。計画のルーツを検証し、問題点を探った。
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