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都市計画道路・高速鉄道スレッド
189
:
とはずがたり
:2003/09/28(日) 14:26
<2>幻の橋
>>178
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyo-0413.html
<3>贈り物
金子知事の下で 協議が本格化
新潟港周辺地域整備計画調査が生みの親となった柳都大橋と新潟みなとトンネルは、双子の事業といえる。だが、育つ道筋は異なった。建設準備のための調査などトンネルの事業着手は、構想浮上後間もない1987年。これに対して、橋は6年遅れの93年、ようやく事業着手となった。
新潟市のOBによると、柳都大橋を含む万代島ルート整備具体化に向けた旧建設省、県、同市の協議が本格化したのは1989年ごろからという。「やっぱり、金子さんが知事になったことは大きかったと思うね」。同年は君健男知事が死去し、6月の「平成元年知事選」で金子清氏が初当選を果たした年に当たる。
万代島ルートは国の直轄事業で、県も事業費の3分の1を負担する。「金子さんになる前、県は新潟市で事業をやろうという姿勢はなかったから」と、このOBは話した。
■ ■
川上喜八郎市長以来の革新市政の流れが続いていた新潟市に対し、君氏は「革新嫌い」で知られた。県OBは「君さんは万代橋下流橋には決して積極的ではなかった」と証言する。川上市長の「みなと大橋」構想断念も影を落としていた。「県は下流橋建設を行わない」。このことは、県内部で暗黙の合意のようになっていた。
新知事誕生が県と同市の間のこう着状況を打開し、柳都大橋建設のための話し合いが進んだとの見方は多い。
翻って、市側には「下流橋は是が非でも造らなければならない」との思いが強かった。元同市都市計画部長の松田忠三さん(71)は「市にとってやはり下流連絡路は橋がメーン、トンネルはサブという気持ちだった」と思い起こす。
下流橋を実現するため、88年には市役所に西港周辺整備対策課が発足した。「西港周辺整備」と名前は付いていても、実質的には万代島ルートを軌道に載せるための部隊だった。当時の担当者は「下流橋ができるかどうかではなく、絶対に造るつもりで仕事をしていた」と言葉に力を込めた。
■ ■
「あんなに立派な橋が必要なのかという話もしたが、国がかなり熱心でやりたいという感じがした。新潟市も一生懸命だった。一義的には橋を造るという感じで、それ以外は先のことという印象を持った」
県関係者は当時の三者協議の雰囲気を語る。こうした話し合いを経て万代島ルートは92年に都市計画決定されたが、「ルート全体が完成するまで、一体何年かかるのかと思った」と本音も漏らす。ただ、当時はまだバブル景気が続いていた。
ある県幹部は語る。「公共事業削減の影響もあり、今の時点で橋とトンネルを2本とも造れるかといえば、それは無理。新潟市はいい贈り物をもらったと思う」
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