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都市計画道路・高速鉄道スレッド
178
:
荷主研究者
:2003/09/28(日) 03:40
■ 連載・改革への指針 揺らぐ公共王国 新潟日報
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyoindex.html
2003年5月訪問の新潟調査
>新潟港付近の国道113の立派で全く中途半端な高架橋に激怒。
その中途半端な理由が以下。
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyo-0412.html
<2>幻の橋
市長交代で 有料案お流れ
「ジャンプ台」。新潟市の信濃川右岸河口部を走る国道113号、通称東港線バイパスの高架を関係者はこう呼ぶ。バイパス中央の車線が途切れたままで放置され、スキーのジャンプ台のようだからだ。計画が順調に進んでいれば、その先は万代橋下流の有料橋「みなと大橋」に続くはずだったが、幻に終わった。不自然な形の高架は、約30年前の計画の名残といえる。
「みなと大橋」―新潟みなとトンネルと柳都大橋を合わせたような橋は、2本の〝橋〟の前史にあった万代橋下流の巨大プロジェクトだ。1965年の市民大会で架橋建設促進が決議され、74年秋にようやく構想発表、75年4月の新潟市長選までは建設が確実視されていた。
「昭和50年度は基本設計の調査を継続し、国、県との調整を図りながら都市計画決定したい」「建設は県にお願いすることになろうかと思う」。当時の渡辺浩太郎市長は75年の3月市議会で答弁している。ところが、翌月の市長選で渡辺氏が敗れ、情勢は急変した。
■ ■
保守系の渡辺氏に代わって市長の座に就いたのは、革新系の川上喜八郎氏。川上氏は選挙戦から渡り賃が必要な有料橋に異論を唱え、「市民がげたばきで渡れる無料の生活橋」を主張していた。
「川上市長が当選してすぐ、計画を白紙に戻すことが決まった」「夏前に、県と市の間でやり取りされた文書を見た記憶がある」。県や旧建設省OBは語る。川上市長が正式断念を表明するのは同年12月市議会。「有料橋には強い疑問を持たざるを得ず、在来案による有料のみなと大橋建設は断念したい」と説明した。
新潟市のベテラン市議によると、川上市長の当選後、みなと大橋構想断念について議会側から目立った抵抗はなかったという。「保守系市議の中には渡辺さんへの反発があり、それも落選の理由だった。みなと大橋にもこうした問題の影響はあっただろうね」と解説する。
■ ■
みなと大橋は有料橋として計画された。だが、県関係者の1人は「あのころは表に出せなかった」と断りながら「構想が出たときはまだ、橋の部分が国道になるか県道になるか読めなかった。有料橋として準備を始めて、用地買収に入ってから国道にしてもらえば無料にできるだろうと考えていた」と明かす。
「国道昇格を決めるのは角さん」―田中角栄元首相という実力者が本県公共事業のバックにいたことが、作戦遂行の自信になっていた。
結果的に、みなと大橋構想は実現寸前でお蔵入りとなった。代わって、信濃川河口部では2本の〝橋〟が産声を上げる。この関係者は今でも悔しそうにいう。試算では、みなと大橋の事業費は約300億円。「今の時代を考えると、それだけの費用で下流橋ができたことは大きかったと思いますよ」
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