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都市計画道路・高速鉄道スレッド

1■とはずがたり:2002/12/21(土) 09:07
都市計画に関するスレッド。田舎の道路開通も可。

1528名無しさん:2009/10/09(金) 16:40:06
>>1482とか
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200910090051.html
堺のチンチン電車なくなる? 新市長、LRT「中止」(1/3ページ)2009年10月9日


通学や通勤などで堺市民らに利用される阪堺電車。堺市内区間は赤字が続いている=堺市西区、岡本写す

 堺市からチンチン電車がなくなる? 9月の市長選で初当選した新市長は、前市長時代の市中心部での次世代型路面電車(LRT)新設事業について中止を明言。計画では、大阪・堺両市を結ぶ阪堺電車(路面電車)の堺市内区間もLRT化し、一体整備する予定だった。赤字路線の「生き残り策」に黄信号がともり、愛着を持つ市民らは気をもむ。

 午前6、7時台の阪堺線浜寺駅前(堺市西区)。通学の小中学生や会社員、お年寄りらが、1両編成の天王寺駅前行きに次々と乗り込んだ。ほぼ10分間隔で出発。いずれも10〜20人が利用していた。

 「電車は、ホームにたどりつくまで随分歩かされる。路面電車は道路からすぐ。乗るのが楽でいい」。堺市中心部の病院に向かう途中の高石市の女性(76)は、つえをつき、足元を確かめながらゆっくりと乗車した。堺市内の男性会社員(41)は「採算だけでもし廃止されたら、生活で使っている市民はどうしたらいいのか」と心配する。

 旧市街地にあり、阪堺線とほぼ並行して南北に商店が並ぶ山之口商店街。かつては心斎橋と並ぶ繁華街と呼ばれ、阪堺線とともに栄えた。堺山之口連合商店街振興組合の原田憲一理事長(71)は「大阪と堺を結ぶツールをなくすのは簡単だが、あまりにもったいない。阪堺線の再生へ動き出したこの機を逃したら、旧市街地の活性化は二度とない」と危機感を募らせる。

     ◇

 「完全に中止したい。採算性がなく、町全体の景観モデルにも合わない」。8日に初登庁した竹山修身・堺市長は就任会見で、南海高野線堺東駅―南海本線堺駅に新設予定だったLRTの中止を明言した。沿線住民から「車道がふさがれ、商売の邪魔になる」「バスで十分」など反対が根強く、「住民合意がない」ことも理由に挙げる。臨海部までの延伸計画についても費用対効果を調べ判断する。

 LRTは低振動で、乗り降りしやすい低床型。市は、新設区間だけでなく、阪堺線の堺市内区間の線路や車両も同時にLRT化を計画。運営する阪堺電気軌道から線路や車両を市が買い取り、同社が運行する「公有民営」方式を採用。相互乗り入れで利便性を高め、乗降客数を増やす狙いだった。総事業費425億円で、2010年度末の開業を目指していた。

 同社の路面電車事業の営業損益は07年度、大阪市内は800万円の黒字。その一方で、堺市内は2億2千万円の赤字となっている。

 阪堺電気軌道は01年、「堺市内の路線を維持運営することは非常に困難な状況」と財政支援などを求める要望書を市に出した。03年には「採算性の厳しい堺市内路線を廃止したい」とさらに踏み込んだ文書を提出した。

 市が02年5〜6月、市民3千人を対象に実施したアンケートでは、64.9%が「堺の資産として必要」と答え、68.6%が残すために市が支援をすべきだと答えた。市は04年度から補助金を増やし、昨年度までの5年間で約2億8千万円を投入し、廃止を先送りしてきた。

1529チバQ:2009/10/09(金) 16:40:31
     ◇

 朝日新聞の取材に対し竹山市長は、「阪堺線は愛着があり、できれば市民ぐるみで守りたい」と語る。ただ、LRT化には「あくまで民間事業者がすべきだ。不採算部分をLRT化して市がリスクを負い、将来、赤字まみれ路線になるぐらいなら、(廃止の)決断をする時がくるかもしれない」と答えている。

 市議会は3月、工事の前払い金など約10億円を含む09年度予算案を可決。竹山市長は補正予算で減額する方針だが、市議会(定数52)は、市長選で対立候補だった前市長の支援に回った議員が8割を占める。補正予算がすんなり通るかどうかは未知数だ。

 阪堺電気軌道の山本拓郎社長は「公有民営を前提に、多少、赤字が出ても我慢してきた。経営状況は厳しく、単独で設備の改善やLRT化を進める余裕はない。堺市の取り組みが、路面電車の再生のモデルになると期待しているのだが」と話す。(岡本玄)

     ◇

 〈阪堺電車〉 上町線(天王寺駅前―住吉公園、4.6キロ)と阪堺線(恵美須町―浜寺駅前、14.1キロ)の2路線がある。前身の大阪馬車鉄道が1900年9月、天王寺から東天下茶屋の区間を開通させたのが最初で、堺市内は1911年12月、恵美須町から大小路の区間が開業した。

 住吉大社への参拝客や一大リゾート地だった浜寺公園への遊覧客などでにぎわい、堺市内の年間の乗降客数は65年度に2千万人近くいた。しかし、自動車の普及などで減り続け、08年度で当時の10分の1程度、約230万人にとどまっている。


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