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金融機関観察スレッド
994
:
とはずがたり
:2006/06/19(月) 16:51:14
三井住友銀の宿沢専務が急逝、「次の次」のトップ候補
http://news.goo.ne.jp/news/reuters/keizai/20060619/JAPAN-217797.html
2006年 6月19日 (月) 12:48
(ロイター)
[19日 東京 ロイター] 三井住友銀行の宿沢広朗・取締役専務執行役員が17日午後、急逝した。2004年まで市場営業部門を率い、邦銀ナンバーワンのマーケット収益を稼ぎ出した立役者だ。元ラグビー日本代表監督としても活躍する一方、マーケットでは「大きくリスクを取り、動じない」との評判もあった。「次の次」のトップとの呼び声も高かっただけに、三井住友銀行の内部で感じられている喪失感も少なくない。
友人と群馬県内で登山し、下山中だった17日午後、気分が悪いと訴え、そのまま運ばれた病院で心筋梗塞のため死去した。
今年4月に常務執行役員・西日本担当から、専務執行役員に昇格し新設のコーポレート・アドバイザリー本部長に就任したばかりだった。M&Aなどに関して、組織の縦割りを排して企業に総合的な助言を行う部署だ。「今年の組織改正の目玉。奥(正之)頭取の信任も厚く、肝いりの人事だった」と同行関係者は明かす。
宿沢氏が金融界でその実力を知られるようになったのは、2001年からの市場営業統括部長時代。金利低下局面の追い風も受けながら、同部門は金利関連の取引によって年間で4000億円もの業務純益を出したこともある。当時の三井住友銀の業務純益の4割に当たる規模だ。「稼ぎ方が半端じゃなかった。うちの銀行でも真似しろとはっぱを掛けたこともあった」とライバルのメガバンク幹部は、当時の激しかった競争状況を振り返る。
泥沼化する不良債権処理のため、利益が底なしに食いつぶされていく中で「市場営業部門の収益が大きな支えになった」(三井住友銀幹部)ともいい、同行を支えた立役者でもある。
ラガーマンということもあり「動物的カンが鋭かったのではないか」(メガバンク市場関係者)との声もあるが、実際は「冷静沈着なタイプ。熱心な情報分析に基づいて判断する指揮官だった」(三井住友関係者)という。
本人の口ぐせは「勝つことのみが善である」。 先行する2つのメガバンクに追いつこうとしている三井住友フィナンシャルグループ<8316>と低迷する日本ラグビーとの2つから、強い信念と高い能力の発揮を求められていた宿沢氏は、その理想の姿を現実に目にしないまま、55歳といういかにも早い人生のゴールを迎えてしまった。
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