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金融機関観察スレッド
3250
:
荷主研究者
:2020/11/02(月) 21:17:42
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/645252/
2020/9/16 6:00
西日本新聞 筑後版 野村 大輔
歴史刻み90年超「解体せず残して」みずほ銀行久留米支店、来月移転
1945年8月の久留米空襲で焼け野原になった市街地。当時の第一銀行久留米支店屋上から撮影された(カメラがとらえた久留米の100年 写真集「私の街 私の時代」より)
10月に移転するみずほ銀行久留米支店。大正期に建てられた社屋は歴史的価値がある
大正期の94年前にできた社屋が久留米市民になじみ深い「みずほ銀行久留米支店」(福岡県同市日吉町)が、10月12日に移転することが分かった。五差路の本町交差点に面した市街地の社屋は、久留米空襲で焼失せず、街の復興と発展を見届けてきた歴史の“証人”でもある。今後、建物がどうなるかは決まっていないが、地元からは保存と活用を求める声が聞こえてくる。
みずほ銀行によると、久留米支店は店舗網再編の一環で、福岡支店(福岡市)内へ移る。今後は久留米に行員は常駐しない。現金自動預払機(ATM)は現在地で当面、稼働させるという。
前身である第一銀行の久留米支店が、現在の久留米市役所近くの場所に開設されたのは1919(大正8)年。現在の社屋は26(大正15)年、仕立物業「志まや」(現アサヒシューズ)の跡地に建てられた。設計は数々の銀行建築を手掛けた西村好時が行った。
コンクリート造りの堅固な社屋は、市街地を焼き尽くした45年8月11日の久留米空襲での焼失をまぬがれ、53年には筑後川大水害も経験した。こうした事情を踏まえ、市文化財保護課も建物の歴史的価値に関心を寄せている。
近くで生まれ育った「三本松・本町通り明るい町づくり推進協議会」の森久副会長(52)は「建物自体に物語があり、解体せずに残してほしい」と話す。
今年8月末には、支店のはす向かいにあった老舗菓子店「あわやおこし本舗」も閉店した。JR久留米駅と西鉄久留米駅の間に位置し、ロータリーが設けられた時期もあるほど交通量も多かった本町交差点。かつてのにぎわいが失われ、森さんは「(支店社屋を)人が常に集まる場所として再活用してほしい」と期待する。 (野村大輔)
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