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金融機関観察スレッド

2816とはずがたり:2017/02/20(月) 21:39:32

追い詰められた城南信金 業界再編の台風の目に 経済
2017年2月20日 10時00分 (2017年2月20日 20時55分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20170220/Keizaikai_24548.html

東京、いや、全国の信用金庫関係者が固唾を飲んで見守る事態が進行している。有力信金、城南信用金庫の今後の行方である。場合によっては、信金再編の核になりかねないからだ。一体、城南信金に何が起こっているのか。文=ジャーナリスト/長田義弘

権力闘争の末の迷走劇
 東京・五反田に本店を置く城南信金は預金量3兆5千億円を超える大規模信金である。信用金庫と言えば、小規模金融機関のイメージがあるが、城南信金の規模は地銀クラスに匹敵する。2001年に京都中央信金が再編で誕生するまでナンバーワン規模の信金として君臨してきた。01年以降も全体第2位の規模を誇っている。
 この有力信金に最近、金融庁の検査が入っている。金融庁検査は、さまざまな観点から経営チェックを行うものだが、城南信金に対する今回の件はやや異質なのだ。「ガバナンスに限定した検査」だと言われている。要するに、経営体制にメスを入れるために金融庁が検査官を差し向けたのが今回の城南信金検査なのだ。異例の出来事と言っていいだろう。
 城南信金はかつて、中興の祖と言われる第3代理事長、小原鐵五郎氏が「貸すも親切、貸さぬも親切」という名言を残すほどの庶民金融を追求。一挙に、信金業界の雄に上り詰めた。
 しかし、その後、小原氏の秘書も務めた真壁実氏が理事長に就任するや、迷走が始まった。内部では情実人事が横行するとともに、信金業界の中にあっては「モンロー主義」を徹底し、業界協調を放棄する動きに出た。その後、真壁氏の片腕だった宮田勲氏が理事長に就任したものの、結局、真壁色の強い経営が続けられた。
 そこに突然発生したのが、企画エリート役員、吉原毅氏による実質的なクーデターだった。吉原氏は、真壁、宮田両氏の下で企画部門を支えてきた人物だったが、10年、宮田氏、さらにその後に理事長に就任した深澤浩二氏などを一掃し、自らが理事長に就任した。
 吉原氏は理事長・会長の任期制を導入し、さらには60歳定年制まで敷いて、若返りとともに、過去の経営陣の影響力を遮断した。そして、15年には自らが導入したルールに基づいて、理事長を辞して相談役に退いた。
 こうした歴史を見ていくと、巨大信金の中で激しい派閥抗争が繰り広げられてきたことが理解できるだろう。しかし、これだけでは終わらなかった。むしろ、ここから本格的な迷走の時代に突入した。
 吉原氏の後に就任したのは守田正夫理事長である。だが、「吉原氏はじめ、前経営陣たちが相談役、顧問となって、実質的に仕切っている」(信金関係者)状態に陥ってしまっているという。権力の二重構造と言ってもいい事態なのだ。


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