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金融機関観察スレッド
2298
:
チバQ
:2012/09/12(水) 22:57:11
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/keizai/201206ketsudan/04.shtml
決断のとき 運命の合併 みなと銀行誕生
(4)グループ化
相乗効果求めて「復縁」
グループ化の記者会見に臨むさくら銀行の岡田明重頭取(左)とみなと銀行の矢野恵一朗頭取=2000年6月9日、日本銀行本店
1999年4月。みなと銀行は、念願の「県民銀行」へ踏み出したものの、頭取室で矢野恵一朗は悩む日が続いていた。
店舗数約150と兵庫県内最大。しかし預金残高約2兆1千億円、貸出金残高約1兆7千億円で、いずれもシェアは一けた台だ。みなと銀株は市場で売り圧力にさらされ、株価低迷に苦しんでいる。「このままでは信用力がつかない」
この年の夏以降、大手銀行は金融大再編の動きに突入する。第一勧業、富士、日本興業の3行が先手を打って事業統合を発表。今のみずほだ。東海、あさひ両行も統合構想を表明した。さくら銀行と住友銀行はいきなり「合併」にまでアクセルを踏み込んだ。
メガバンク時代を告げるこの状況が、兵庫の地域金融情勢を一変させる。
◆
さくら銀の源流の一つは神戸銀行だ。73年に太陽銀行と合併、太陽神戸銀行に。90年に三井銀行と合併、さくら銀となった時点で本店は東京へ。住友との合併による三井住友銀行の誕生は、「神戸離れの完成形」とささやかれた。
99年暮れ。神戸・旧居留地のさくら銀関西本部で会長の高粼正弘と、みなと銀頭取の矢野が向き合った。2人は神戸銀行の同期。高粼は、株式公開買い付け(TOB)でみなと銀をグループ化する―と提案した。
矢野は戸惑う。兵庫銀行の受け皿になったみどり銀行時代から、さくら銀との間には「溝」があった。阪神銀行とみどり銀の合併趣意書にもその一端がうかがえる。「今後、さくら銀行から新たな人的、経済的支援は必要としない」
しかし、住友との合併合意が距離を縮める。「兵庫に占めるウエートが下がる」と危惧する高粼。メガバンクになっても兵庫でどう存在感を発揮するか。「解」がみなと銀のグループ化だった。
さくら銀との「復縁」は矢野にとって願ってもない選択肢だった。何より、さくら銀と住友銀の合併で誕生するメガバンクの後ろ盾で経営は安定する―。
2000年6月、日銀本店でさくら銀頭取の岡田明重と矢野は記者会見。「最善のシナリオだ」。さくら銀は兵庫県内20店をみなと銀に譲渡した。
◆
西川善文、奥正之、国部毅。三井住友銀の歴代頭取は住友銀出身だ。3人は言う。「三井住友は総合的・国際的な金融サービス、みなとは地域密着。役割分担ができ、相乗効果が出ている」
現在のみなと銀のシェアが10%前後なのに対し三井住友銀は約25%。メーンバンクとする県内企業の比率もみなと銀の1割強に対し、三井住友銀は2割強だ。「優良な取引先を三井住友は手放さない」「競合が目立つ」。そんな声が聞こえる。「切磋琢磨(せっさたくま)」(西川元頭取)と言えば聞こえはよいが、顧客ニーズに合ったすみ分けを実現するのは容易ではない。
三井住友銀とみなと銀―。「親子」の関係に導いた岡田は話す。「(みなと銀への)店舗譲渡はさくら銀の効率化の延長線上にあった」。グループ化から12年。相乗効果につながる戦略はまだ見えてこない。=敬称略、肩書は当時=
(松井 元)
〈株式公開買い付け(TOB)〉
株式の買い付け希望者が目的、価格、期間、予定株数などを公表して買い取る方式。さくら銀行が2000年に行ったTOBでみなと銀株の保有比率が4%弱から40%超に上昇。住友銀行と合わせたグループで50%を超えた。
(2012/06/22)
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