したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

金融機関観察スレッド

2114杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2010/09/13(月) 12:37:03
確かソニーも海外進出し立ての頃は、外国へ(貴重だった)ドルを持ち出すのに四苦八苦したんだよね。何とも涙ぐましい・・・・・

【コラム】新韓銀行のDNA
http://www.chosunonline.com/news/20100913000049

 新韓銀行の誕生過程は異色だった。日本による植民地支配期に祖国を離れ、日本でパチンコ、旅館業、食堂を営んで財を成した在日韓国人の資金で設立されたからだ。新韓銀の草創期を知る人物は、1980年代初めをこう振り返る。

  「当時、旅行かばんに2億円程度を入れることができた。ある日、5億円を持ち込むため、1億6000万円、1億6000万円、1億7000万円を三つのカバンに分けて入れ、大阪空港に向かったが、年配の税関職員が検査すると言い出した。一つは荷物として預けたが、結局一つは駄目だった。飛行機が離陸する際にほっとしたのを覚えている。ある人は一度に12億円を持ち込んでいた。それを乗用車に乗せたら、かばんが(重さで)ぺしゃんこになっていた」

 日本の銀行に門前払いを食らった在日韓国人はその悲しみを乗り越え、故国にひそかに資金を持ち込み、設立した金融機関が新韓銀行だ。設立当時の資本金は250億ウォン(現在のレートで約18億円、以下同)、行員数は270人、店舗数は8カ所だった。官主導で経営され、硬直していた韓国の金融市場で、羅応燦(ラ・ウンチャン)新韓金融持株会長(当時常務)、申相勲(シン・サンフン)新韓金融持株社長(当時代理)、李伯淳(イ・ベクスン)新韓銀行長(当時代理)は独自経営の民間銀行の根を韓国に下ろした。最近、ある財閥の総帥は「自分が今までに飲んだ酒はタンカー5−6隻分になる」と話したが、羅応燦氏らが新韓銀行を外風から守り、行員を「少数精鋭」に育てるために飲んだ酒もそれぐらいになるはずだ。
 新韓銀行は羅常務が銀行長に就任した1990年代初めから、ほかの銀行の脅威として浮上した。資産規模は91年の10兆ウォン(約7200億円)から、99年には48兆ウォン(約3兆5000億円)に膨らんだ。政府の保護下で経営してきた虚弱体質の銀行がアジア通貨危機で破たんし、雑草のように育った新韓銀はさらに強くなった。
 新韓銀の野性的経営はライバルを追い抜いた。当時の大手銀行、朝興銀行を買収し、3年後にはクレジットカード大手のLGカードも傘下に収めた。羅常務、申代理、李代理らは、そうして資産313兆ウォン(約22兆6000億円)規模の韓国3位の金融グループを育て上げた。約20年間で1000倍以上に成長したことになる。韓国に進出した外資系銀行のトップも、新韓を最も恐ろしいライバルに挙げる。
 世界的な金融危機以降、KB金融持株では会長選出が難航、ウリ金融持株は政府保有株の売却計画が遅れている。ハナ金融持株は勢いを失っている。韓国が国家代表として立てられる銀行は事実上、新韓しかなかった。しかし、新韓はそこでリードできなかった。
 それは指導部の内紛があったからだ。経営トップ一人のカリスマや少数経営陣に依存してきた成長が限界に達した。その対立を狙い、外部勢力が新韓の経営陣のポストを狙っているとのうわさも聞こえる。しかし、外部から経営陣を迎える方式では、新韓をさらに弱体化させる可能性がある。新韓には市場で戦い、成長を遂げてきた歴史があり、政府に保護されてきたほかの金融機関にはない独自のDNAがある。「新韓のDNA」は韓国の金融業界でほかにはない貴重なものだ。新韓の内紛が長期化しても、金融当局は介入しないでもらいたい。新韓が自ら危機を克服し、DNAをさらに鍛え、新たな成長モデルを模索する機会を与える必要がある。

     尹泳信(ユン・ヨンシン)経済部長


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板