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鉄道貨物輸送研究スレッド
2817
:
荷主研究者
:2020/10/11(日) 11:08:50
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202008/0013641352.shtml
2020/8/28 05:30神戸新聞NEXT
続・はんしん「旧」名所 番外編(上)阪神武庫川線 三線軌条
戦後間もなくの撮影とみられる阪神武庫川線の武庫川駅。左側のレールが三線軌条になっている(阪神電鉄提供)
1980年、洲先駅以南にあった廃線跡の三線軌条(西宮市情報公開課提供)
現在の阪神武庫川駅。ホームの位置が変わり、三線軌条があった場所に電車が停車している=西宮市武庫川町
神戸新聞NEXT
セピア色の写真が1枚ある。場所は、今も兵庫県西宮市の武庫川沿いを走る阪神武庫川線の武庫川駅。戦後間もなくの撮影とみられる。左側の汽車の線路をよく見ると、レールが3本。汽車と阪神電車の両方を走らせるため、戦前に敷かれた「三線軌条(さんせんきじょう)」だ。今はなき珍しい設備は“戦争の落とし子”といえる物語を持つ。
1930(昭和5)年ごろ、武庫川河口付近で、海軍向け戦闘機「紫電改」の製造で知られる川西航空機が操業を始めた。海軍管理工場に指定されて規模が拡大。戦局が既に悪化していた43年、「産業戦士」たる多くの従業員を運ぶため、軍の強い要請を受けた阪神電鉄は100日余りの突貫工事で武庫川線を建設した。
最初の区間は、川西航空機に近い旧洲先駅から阪神本線の武庫川駅まで。大人数を乗せられるよう、車両の座席の一部を外して運行された。翌44年には工場の貨物輸送も担うべく、武庫川駅から北に延伸。国道2号を走る阪神国道線・武庫大橋駅と連絡し、省線(現JR)の西ノ宮駅までを結ぶ新線(約6・9キロ)が完成した。
ただ問題があった。貨物を運ぶ省線はレール幅が狭い「狭軌」。逆に旅客の阪神電鉄は広い「標準軌」。両者は同じ線路を走れない。解決策が、標準軌の内側にレールを1本増やす「三線軌条」だった。貨物専用線の西ノ宮-武庫大橋間は狭軌のみ。以南が3本レールの活躍場所となった。
しかし45年6月、川西航空機の工場が空襲で壊滅してしまう。阪神電鉄の50年史は、新線の完成が「時すでにおそく(中略)あまりお役に立たなかった」と評する。建設理由の役割を果たせたのは、半年ばかりだった。
終戦直後、小学生だった男性(84)は3本レールで遊んだ記憶がある。「狭い方の2本は、子どもが上を走るのにちょうどいい幅だった。1本だけで走れる子どもと並んで『よーいどん!』と競走した」と懐かしむ。破壊された川西航空機の工場跡にも入り込み、残っていた戦闘機のガラスを割って持ち帰るなどして楽しんだという。
46年1月に貨物輸送が再開されたものの、目的は戦前から一転。旧洲先駅周辺を接収した米軍のために運行された。3本レールは皮肉な形で運用された。昭和30年代に貨物輸送が終了した後は順次撤去の運命に。約600メートル北に移動した洲先駅から先の廃線跡には3本レールがしばらく残っていたが、武庫川団地前駅まで再び延伸された80年代に姿を消したとみられる。
鳴尾地区の歴史に詳しい武庫川女子大学の丸山健夫教授(64)は「三線軌条は戦争が生んだ苦肉の策。その後も時代に翻弄(ほんろう)され姿を消した」と語る。現在の武庫川線は生活の足となった。武庫川駅では、かつて3本レールがあった場所に電車が発着。同駅から北では、線路跡に整然と住宅が立ち並ぶ。電車と汽車が行き交った戦時下の喧騒(けんそう)とは、まるで無縁の時間が流れている。(伊丹昭史)
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