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鉄道貨物輸送研究スレッド

2276荷主研究者:2017/02/19(日) 15:30:22
>>2275 続き

*『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、1971年
p608
貨車は昭和38年から日本車輛製の4両が活動に入った。鈴与のマーク入りの貨車による川崎〜清水間の輸送をはじめ、各支店向けが川崎〜浜松間、川崎〜甲府間にも運転された。
特約店が貨車をもって活躍するのは鈴与ただ1社だった。
▽本社充填所=38年5月、10月各1両、39年11月2両
▽甲府支店充填所=38年5月、40年11月各1両
▽浜松充填所=38年10月、39年11月、40年11月各1両

p610
清水(清水市入船町) <仕入先>日石ガス
浜松(浜松市龍光町) <仕入先>日石ガス
甲府(甲府市朝気) <仕入先>三菱液化
⇒以下のような輸送体系か。LPG:新興(日本石油瓦斯)→清水(鈴与)・天竜川(鈴与)、LPG:扇町(三菱液化瓦斯)→南甲府(鈴与)
 尚、日本石油瓦斯はその後、新興から浮島町に発駅変更されたと思われる


*『日通商事20年のあゆみ』日通商事株式会社、1985年
p285〜286
日通液化ガス(株)発足当時は、ブリヂストン液化ガス(株)川崎製造所から全国各地の当社充填工場へ、遠距離は20トン積みタンク車90両で、近距離はタンクローリー20両で一時輸送を行っていた。
その後、ブリヂストン液化ガスで昭和41年唐津・苫小牧、45年青森、49年七尾と製造所が完成し、各製造所からの輸送に変わったため、ローリー輸送が主体となってきた。
一方、タンク車は老朽化し検査費用もかかることから、47年頃まであった90両は51年頃から逐次廃車し、52年には創業の37年当時製造の貨車はゼロになった。

しかし地域によってはまだ貨車を必要とするため、51年に25トン積18両を新造し、唐津製造所から宇土・川内・三股各充填工場へ、川崎製造所から本宮・新潟・沢渡各充填工場へ、また丸善石油(株)塩釜製造所から山形へ、青森製造所から日詰・秋田各充填工場へと鉄道輸送していた。
57年唐津製造所からの輸送がタンク車からローリー車に切り替えられ、59年2月の国鉄の貨物取扱駅廃止に伴い、タンク車10両が不要となったので売却した。その後、ほぼ全国的に、メーカーが自家用又は庸車のローリーで一次輸送している。

58年度末には25トン積タンク車8両を保有し、うち2両はリースで、6両は新潟・沢渡両工場への輸送に使用していたが、59年9月には5両売却し3両となった。

⇒以下のような輸送体系か。LPG:大島(ブリヂストン液化ガス唐津製造所)→宇土(日通商事)・川内(日通商事)・東都城(日通商事)、LPG:末広町(ブリヂストン液化ガス川崎製造所)→本宮(日通商事)・新崎(日通商事)・沢渡(日通商事)、LPG:塩釜埠頭(丸善石油)→神町(日通商事)、LPG:野内(ブリヂストン液化ガス青森製造所)→日詰(日通商事)・新屋(日通商事)


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