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企業の提携・合併観察スレ
2258
:
荷主研究者
:2018/03/18(日) 14:26:43
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180307/bsb1803070500001-n1.htm
2018.3.7 06:11 Fuji Sankei Business i.
【巨艦の行方 パナソニック創業100年】(下)生き残りかけ「第二の創業」
1964年の操業開始当時の佐賀工場【拡大】
■改革と理念継承、模索続く
広いフロアに並んだ機械がICチップに微細な加工を施し、熟練工が素早く部品を製品へと組み上げていく。セキュリティーカメラや決済端末を生産する佐賀県鳥栖市の工場は、約400人が働く最新鋭の製造拠点だ。
■「1県1工場」
かつては水田や畑だった。1964年、松下幸之助氏が地方の雇用を生み出すために掲げた「1県1工場」の第1号として建設された。「周囲の山を切り開き、工場がどんどん大きくなっていった」。地元出身でこの工場にも勤めた今村正敬さん(49)は振り返る。
鳥栖市の担当者は「地域の発展の礎を築いてくれた」と話す。工場の事務所には今も幸之助氏の言葉が飾られ、創業の精神が息づいている。
「企業は社会の公器である」と唱えた幸之助氏。こうした経営理念の継承と改革のはざまで、パナソニックは生き残りへの模索を続けてきた。
バブル崩壊後の経営悪化では、2000年に就任した当時の中村邦夫社長が「破壊と創造」を掲げて大規模なリストラを断行。だが人を大切にした幸之助氏の理念を損なうと批判も出た。08年の社名変更で「松下」の名が消えたときには多くの惜しむ声が上がった。
12年に就任した津賀一宏社長は「第二の創業」を掲げて改革に着手。米シリコンバレーに新たな開発拠点を設けたり、経営に外部の血を入れたりして「巨艦」に新風を呼び込もうとしている。元社員で日本マイクロソフト会長などを経て古巣に復帰した樋口泰行専務執行役員もその一人だ。「タブーなしに改革を」と津賀氏が口説いた。メリルリンチ日本証券の有名アナリストだった片山栄一氏も役員に起用。「会社を変える突破口だ」。片山氏は自らの役割をそう認識する。
■ベンチャー精神
今年初め、シリコンバレーの拠点では前例のない試みが動き始めていた。「実際に、開発中の新製品に囲まれて暮らしてみたらどうだろう?」。近くにマンションの一室を借り、体験し、改善する。これまでの発想ではなかったことだ。
昨夏発足した拠点では、若手の技術者やデザイナーなど約30人の精鋭がベンチャーのような自由な発想で製品やサービスのアイデアを練る。窓からは隣接する米アップル本社が見え、刺激を与えている。率いるのは、ドイツのソフトウエア大手から招いた馬場渉氏だ。
馬場氏は言う。「100年で積み重ねたものが賞味期限切れになっている。新規事業を創出し、既存事業やブランドも再生させていきたい」
オフィスには幸之助氏の写真が貼られている。カリスマ創業者の理念を継承しつつ、新風を追い風にできるか。「次の100年」が始まる。
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