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企業の提携・合併観察スレ
1941
:
とはずがたり
:2017/01/27(金) 16:25:43
>>1940-1941
日本なら、日立製作所が好例でしょう。一度、死の淵を見てしまった。リストラをやらなければいけなくなった。おカネがないから、恥を忍んで世界中からエクイティファイナンスをして、そのおカネでリストラをやった。
おカネがなくて、リストラができなかったら、かつて産業再生機構が手がけたカネボウと同じ運命だったと思います。おカネがなければ、リストラはできないのです。あるいは東芝のように、最も儲かっている事業を売らなければいけなかった。カネボウだって、あの時は化粧品を売り払って、リストラ費用をつくろうとしたのです。
その意味では、東芝は心配です。見事にカネボウが取った道を歩んでいる。残ったのは、半導体と原子力。いったい、どうするつもりなのか。
メタ認知的視点を持てるか否か
東芝と日立は電機メーカーとしてよく比較されましたが、リーマンショックの後に、ポイント・オブ・ノー・リターンがあったと私は見ています。日立は思い切ってリストラに挑んだ。これは、川村隆さんというリーダーが偉大でした。あれだけの巨大な硬直した巨艦を思い切り舵を切って動かした。
実は彼は一度、子会社に出ていました。言ってみれば、一度“上がった人”だった。それだけに、周囲の期待は薄かった。しかし、一度上がって飛ばされて戻って来た人のほうが、実は思い切ったことをやるものです。伊藤忠商事の丹羽宇一郎さんやコマツの坂根正弘さんもそうでした。子会社に出ていた人なのです。
一度、外に出ているので、客観的になっている。メタ認知を持っているのです。ずっと中にいると、そうはいかない。メタ認知など持つと、共同体の中では生きていけないからです。共同体というのは、「メタな視点から自分の会社を見る」などという視点を否定するからです。むしろ、それを排除しようとする。王様は裸だと言わない約束でやっているのです。ところが、一度、外に出た人はそうではない。否応なしに、メタ認知を持つに至る。その視点を活かして、日立も伊藤忠も大きな改革が行われたのです。
一方の東芝はどうだったか。当時の社長は、経団連の名誉職の話もあったので、会社を大赤字にできない状況があった。会社を建て直さなければいけない状況なのに、改革をフニャフニャで終わらせてしまった。
社内闘争がメディアで報じられましたが、出世競争のようなものが生きがいになっているのではないか、と想像せざるを得ません。会社の中で上がると、次は経団連。さらなる名誉職を求める。
実際、東芝の歴代トップはみな、立派な名誉職についています。それが文化なのかもしれません。権力を手に入れるために闘争するのが、東芝のムラ社会共同体のカルチャーです。そして、煩悩の強い人が偉くなっていく。
権力闘争している間、会社の建て直しは行われませんでした。その結果が今です。昔ながらの共同体モデルがワークするような経営環境であれば、何も問題はありません。みんな楽しくやっている。出世競争だってすればいい。変えろ、などと言う必要もない。
問題は、周囲は変化していくということです。気づけば、戦国時代が来ていたのです。なのに、まったくモードを切り替えることができなかった。
「自分の尺度」を持っていれば
これは他人事ではありません。組織としても、個人としても、です。なぜなら、日本人の多くが「自分の尺度」を持っていないから。これがないから、権力にしがみつこうとする。出世にしがみつき、会社にしがみつこうとする。…
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