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企業の提携・合併観察スレ
1524
:
とはずがたり
:2015/08/17(月) 21:00:06
財界総理になりたいとか俗物の極みだなぁ。。
東芝が失う「財界活動」の特別パスポート 失墜したブランドの信用回復が急務
http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-78449.html
07月28日 06:00東洋経済オンライン
不適切会計問題が明るみに出たことで、財界活動への“パスポート”は、しばらく失効しそうだ。
東芝の社長は4年周期で交代し、会長に退いてから経済団体の要職に就くのが慣例となっていた。かつては、社長時代の経営手腕が評価された石坂泰三と土光敏夫が経済団体連合会(経団連)会長を務め、新日本製鉄やトヨタ自動車、東京電力などとともに財界を支えてきた。
しかし、土光が第4代の経団連会長を務めてから30年以上、東芝の歴代社長はいずれも経団連の副会長止まり。そうした中で、財界総理のいすに最も近づいたのが、西田厚聰だった。
会長候補から外れた”誤算”
社長在任中の株価はライバルの日立製作所を逆転。大型M&Aや大胆な設備投資で事業を拡大するなど、実績を上げた。2009年5月には、御手洗冨士夫(当時・キヤノン会長)体制の下で、経団連副会長に就任。東芝の社長職を4年間務め、同年6月に会長へと退いた。
経団連では翌2010年、任期満了に伴う会長人事を控えており、財界では西田が有力候補の一人と目されていた。その当時、「西田さんが御手洗さんに電話をかけてアピールしていた」(東芝元幹部)という話もあり、本人も意欲を示していたようだ。
そこに、思わぬ誤算が生じる。当時東芝相談役だった岡村正が日本商工会議所の会頭を務めていたことだ。同一企業の社長経験者が二つの経済団体のトップに就くことに対して、経団連の会員企業から懸念を示す声があったとされ、あえなく西田は会長候補から外れてしまう。
その後、2013年に田中久雄が社長に就任すると、前社長の佐々木則夫は副会長職に就く反面、西田は会長の座にとどまった。東芝では異例ともいえる3トップ体制になった役員人事は財界で、「2014年に控えた経団連の次期会長人事を意識したもの」といった憶測を呼んだ。
経団連会長は通常、経団連副会長などの要職を務める、現役の社長か会長から選ばれる。西田は経団連副会長を2013年6月に退いたことから、要件の一つは満たしていない。それでもわずかな可能性を残すため、東芝会長にとどまったと見る向きもあった。
しかし、業界内で会長候補と目されたのは西田ではなく、むしろ現役の経団連副会長だった佐々木のほうだった。やがて、二人の確執が広く知られたことが影響したのか、その線も消えてしまう。
もはや財界活動どころではない
電機業界の中で次期経団連会長と有力視されていたのは、東芝の宿敵でもある日立製作所の川村隆会長だった。結局、川村は高齢などを理由に、就任を固辞。最終的に、東レ会長の榊原定征の就任が2014年1月に内定し、経団連会長レースは幕を閉じた。
創業140年を迎える名門企業で起こった今回の問題で、東芝の歴代3社長が辞任。暫定的に会長の室町正志が社長を兼務し、8月中には新たな経営体制を発表する方針だ。7月21日付で東芝副会長を退いた佐々木は、同日、経団連の副会長辞任を申し出た。
今後は失墜した東芝ブランドの信用回復が急務。財界総理どころか、経団連副会長という定位置が消えても、おかしくない。
=敬称略=
(「週刊東洋経済」2015年8月1日号<7月27日発売>「核心リポート01-3」を転載)
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