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企業の提携・合併観察スレ
1503
:
チバQ
:2015/07/26(日) 22:05:10
http://www.sankei.com/economy/news/150725/ecn1507250006-n1.html
2015.7.25 17:00
【東芝不正会計「歪みの代償」番外編】
石坂泰三、土光敏夫…財界の盟主を続々輩出した名門企業はなぜ転落したのか?
(1/6ページ)
東芝の名経営者といわれた石坂泰三氏(左)と土光敏夫氏
利益水増し問題で「組織的」な不正の存在が認定され、田中久雄社長ら半数の取締役が辞任する事態に陥った東芝。江戸後期に生まれた創業者の田中久重に始まり、石坂泰三氏、土光敏夫氏ら同社を発展させた経営者の足跡から、難局を迎えた名門企業が立ち戻るべき原点とは何かを探った。
新旧社長の確執は50年前にも
調査した第三者委員会の報告書には盛り込まれなかったが、今回の問題には前相談役の西田厚聡氏と前副会長の佐々木則夫氏との対立があったといわれている。佐々木社長時代、西田会長が公然と経営を批判したことが、同社の“歪み”を増幅させたようだ。
東芝の歴史をひもとくと、新旧の社長の対立を契機に見事に再生したことがある。石坂泰三氏は昭和32年、販売部門出身の岩下文雄氏に社長の座を譲るが、業績が悪化。岩下氏の経営手腕に不満を持った石坂氏は、石川島播磨重工業(現IHI)会長だった土光敏夫氏の招へいに動いた。土光氏は40年に東芝社長に就任。回想録で、「与えられた責務は、減配続きの東芝の立て直しである」と語っている。
平成25年、西田氏は佐々木氏を副会長に“棚上げ”し、会長に室町正志氏(現会長兼社長)を就け、社長には田中氏を抜擢(ばってき)。いずれも西田氏に近い人物で、起用が社内抗争を激化させ、今回の問題につながっていったとみられる。対立を次代に持ち込まず、しがらみなく社内の一致をはかった土光改革とは対照的だ。
第三者委の報告書では、「チャレンジ」と言われた過度な目標の達成に向けた損益改善要求が問題の元凶とされた。しかし、日本郵政の西室泰三社長(東芝相談役)は22日の会見で、「『チャレンジ・レスポンス』という言葉を最初に使ったのは土光さんだ」と指摘した。土光氏は従業員の自主性を引き出すために、事業部に大幅に権限を委譲。この手法に関して回想録では、「事業部が目標を達成出来なかったとき、『チャレンジ』する。その説明を要求し、議論を呼びかける。そこで、相手はすばやくレスポンスしなければならない」と語っている。
似て非なる“チャレンジ”
一見、今回問題になったチャレンジと似ているが、どうやら運用面で大きく異なるものだった。土光氏は「仕事の上では、社長も社員も同格なのである。その意識を持つには、ディスカッションするのがいちばんいい」とも振り返っており、議論を通して信頼関係を深めたようだ。今回、チャレンジの達成のために社長が事業部門のトップに圧力をかけた事実が認定されたが、その一方的な手法は土光氏のものとは真逆に見える。「いざなぎ景気」を背景に、土光東芝の業績は急回復したという。
回想録には、工場を訪ねた土光氏を従業員が大歓迎し、自宅にまで遊びに来る者もあったと書かれている。「人は能力以上に働かなければならない」という信念を持つ土光氏だったが、従業員の自主性を尊重するか否かという点で、新旧のチャレンジは似て非なるものだった。今回の問題を受けて、経済同友会の小林喜光代表幹事は「組織論ではなく、いかに魂を入れるかが重要」と語っているが、土光氏の経営を振り返ってみたとき、この言葉は示唆に富んでいる。
土光氏はその後、経団連会長を経て、行政改革に奔走。質素な生活が取り上げられ、「メザシの土光さん」と国民的な人気を博した。東芝は今回の問題を受け、9月の臨時株主総会で経営体制を刷新するが、会社を一丸にして再生に向かって進めた土光氏のような手腕が求められている。
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