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選挙・議員関連情報スレ
3043
:
名無しさん
:2009/10/02(金) 21:58:18
>>3042
横浜市長辞任について1 期限を区切って仕事をする
2009.08.13
私がなぜ横浜市長を辞任したか、じっくりとお伝えしたいと思います。
率直に言って、この時期に辞することが横浜市、社会にとってプラスになると判断したからです。私はいつも「自分が何になりたいということには関心がない。この社会が良くなるために、政治家として何ができるかに最大の関心がある」と言い続けてきましたが、今回の辞任もそういった考え方意外に理由はありません。
私個人にどんなメリットがあると思いますか? 任期満了までの約8ヶ月間、このまま市長を続ければ、その間の給与は保証されています。何かに行き詰まっていたわけでもありません。自分が掲げた改革の大半に道筋をつけてきました。自分のことだけを考えれば、この時期に辞任することは、愚の骨頂です。家族にも迷惑をかけます。ただでさえ不安定な立場なのに、給与はなくなり退職金も減額されますから。
多くの方々が辞任の理由を色々に詮索します。政治家が自分の得にならないことをするはずがない、と思うからでしょうか。確かに、今までの政治がそうしたイメージを作ってきたので仕方ないとは思いますが、実は、私という存在そのものが、そうした政治に対するアンチテーゼでもあります。私は、これまでの政治が嫌だから政治家になっているのですから。
平成14年・2002年3月、私が市長選挙で掲げた公約は『日本プライド構想2010』という名称です。当初から、2期8年ということを打ち出して市長になっているわけです。
なぜ2期8年なのか? 一昔前までは、多選の弊害が指摘されながらも、4期16年、5期20年というような長期政権もざらにありました。長期政権からは、汚職事件が発生したり、組織の硬直化がもたらされていました。何よりも、私が横浜市長選挙に出ることになった経緯も当時の現職市長の4選出馬があったからです。私のマニフェストでも約束した多選禁止条例は、平成19年に成立し、横浜市長は長くても「3期12年まで」となりました。
そもそも、私は「時間のけじめをつけて仕事をしなければ、いい仕事はできない」と確信しています。期限を設けないで「いつかはする」「少しずつやる」と言うことは、「やらない」と言っているのと同じです。特に、行政の改革は、渾身の力をもってスピーディーにやらなければ、成果が出ないどころか痛みだけが増大します。国政においては、改革と言ってきたはずなのに、10年前と比べて、国債残高が40%も増え、自殺者は3万人台になってしまっています。
期限を区切って、約束したことを実行していくことこそが何よりも政治に求められていることです。
私は、当初から2期を区切りとしてマニフェストを実行に移してきました。私の周囲の方々は、私が任期満了で退任することを予想していたと思います。ということは、来年3月に市長選挙を実施することになります。
一方、マニフェストに掲げた公約の実現に目処をつけた私は、8年目の「最後の年」にどのタイミングで退任するかをずっと考えてきました。
(続きは次回にて)
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