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選挙・議員関連情報スレ

2646とはずがたり:2008/09/28(日) 01:18:22
>>2645-2646
 18日午後、安倍は都内のホテルでミクロネシアから帰国直後の森と会い、麻生の意向を伝えた。森は静かに耳を傾けていたが、きっぱり言った。

 「おれが幹事長になったら密約とか出来レースとか言われるだろ。しかもおれはマスコミ受けが悪い。政権にとってよいことではない」

 「説得不調」の連絡を受けた麻生は19日、森に電話をかけ自ら説得を試みた。

 「もう私の気持ちは決まっています。なんとか引き受けてもらえませんか」。必死の説得に森は返答を留保したが、翌朝、電話で「やはりお断りしたい」と伝えた。森は「町村君じゃ駄目なのか」と念を押したが、麻生は「では細田(博之)さんでお願いします」と応じなかった。

 町村幹事長では2段階の人事構想が崩れてしまう。「選挙博士」の異名を持つ細田で乗り切るしかない。苦渋の決断だった。
                   ◇
 麻生が組閣にあたり肝に銘じたのは2つ。「お友達内閣にしない」「派閥順送りをしない」だった。

 まず自ら掲げる経済対策実現が第一だった。積極財政派の同志である中川昭一に財務相と金融担当相を兼務させることを決定。経済政策の一貫性を保つため経済財政担当相の与謝野馨や経済産業相の二階俊博の再任も決めた。

 外相は悩んだ。安倍の起用も考えたが、「政権ほうり出し」の批判が再燃しており、「お友達優遇」のそしりは免れない。中曽根弘文に決めたのは父で元首相の中曽根康弘の存在が大きい。国際的にアピールできる上、指南役も期待できる。「参院の閣僚は1度だけ」との不文律を壊したいとの思いもあった。

 もっとも悩んだのは官房長官だった。当初考えたのは国対委員長の大島理森だったが、ねじれ国会の難局では余人をもって替え難い(→本人が選挙を理由に固辞とあったが)。結局、同じ文教族で気心が通じる河村建夫に白羽の矢を立てた。

 麻生は「まずまずの人事」と自負していたが、22日夜、予期せぬハプニングが起きた。赤坂の日本料理店で遅い夕食を取っていた麻生に入ったのは「『河村官房長官』とマスコミが騒いでいる」との連絡だった。翌朝には主要閣僚の人事が一気に漏れた。

 党内では「論功行賞」など批判が噴き出し、派閥領袖らから「復活折衝」を求める電話が殺到し、一部閣僚はポストの修正に追い込まれた。「2、3人しか知らないはずの人事がなぜ…。さっそく揺さぶりが始まったか」。麻生は苦虫をかみつぶした。

 24日朝、自宅前で麻生は秋空を見上げ、こう言った。
 「完全に秋の雲だな。風もさわやかだ。目覚めはいつも悪いけど…」=敬称略
 (石橋文登)


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