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Pri Esperanto

1近藤 貴夫:2006/05/26(金) 22:20:04
今さらながら、エスペラントについて。
私がエスペラントの文法書に触れた最初は、サンスクリットや
ロシア語より更に前の、小学生時代に遡ります。

2近藤 貴夫:2006/06/01(木) 19:05:50
エスペラントの使用人口は、地球上で約100万人という数が普通挙げられ
ます。
計画言語として最も成功した言語であると同時に、その目的である国際語
としての地位は百年を過ぎてもなかなか見えてこない言語、エスペラント。
現代の有力大言語といえば、各々数千万から十億に迫る使用人口を抱えて
いるところ、エスペラントは二桁ほども少なく、言語の人口百位以内には
何とか入るくらいの中規模言語に停滞しているということです。
そして、その未来やいかに。

3近藤 貴夫:2006/06/04(日) 06:22:52
将来を見通すことは難しいことです。
しかし、エスペラント界で新世代への継承がうまく進んでいないことが、
特に日本の状況としては、あちこちで指摘されています。
そして、団塊の世代が世を去る、今から20年くらい後には、運動が壊滅的な
打撃を受けるであろうこと、そして団塊ジュニアが消える40〜50年の将来
には、全く息の根が止まるのではなかろうかということが、容易に想像
されます。
けれども、これまでに辞書や学習書が各地で豊富に刊行され、オリジナルの
作品の蓄積もある言語ですから、たとえ話者が途絶えても、いつでもまた
復活運動が可能であるし、言語学的な研究者がゼロになることもまた考え
にくいことです。

4近藤 貴夫:2006/06/06(火) 22:54:40
<誰もが、一つの母語のほかに、誰の母語でもなく学習の容易な、特定の
一つの国際語(=エスペラント)を学ぶ>。
この平等性と利便性が、エスペランティストの理想とする状況です。
そして、世界中の人が楽に平等な立場で、意思疎通できる状況にするには、
他にもっと有効な代案はなかなか見当たりません。

しかし、この論筋がなかなか大衆皆の心に訴えず、また、エスペラントの
中立性と学習容易性に疑義が挟まれることは、まさに今日の現状が証拠です。
そこで、本当に、今の多言語の状況や、大小の言語勢力の動きが「悲劇」や
耐え難い差別的支配であるのか、まずそこから振り返らなくてはなりません。
そして、エスペラントが唯一の国際語として本当に有意義なのか、もし
その理想が実現したらその後はどうなるのかも、考察しなくてはなりません。

5近藤 貴夫:2006/06/06(火) 23:10:23
私は、生まれた祖国に住んでいます。
公用語とは法律上書いてないにせよ、母語が国語です。
私の住んでいる市には、百を越える民族の人が住んでいます。けれども、
彼らは、全員合わせても、人口の一割に満たない少数派です。ですから、
日常の生活や仕事で、私が<母語=国語>で用を足せない場面は、滅多に
巡ってきません。

街の様々な表示には、漢字に振り仮名やローマ字をつけたり、英語・北京語
(簡体字)・朝鮮語・ポルトガル語・時にはベトナム語なども登場します。
翻訳ボランティアが、様々な言語での生活情報の提供に活躍しています。
けれども、私は、日本語や英語の表示だけを読めば用は足せますし、仮令、
中国簡体字やハングルについて何て書いてあるのか聞かれても、中学時代
から親しんだ文字ですから、さほど困らないのです。

一体、どんな理由があって、どうしても話したい相手や読みたい名著がある
わけでもない言語を、熱心に学ぶというのでしょう?

6近藤 貴夫:2006/06/06(火) 23:25:40
日本のエスペランティストは、数の割に大変熱心で、多くの入門書や関連
書籍が、毎年刊行されています。それには、一度学んだ言語をできるだけ
有効に使える状況を作りたいというのもあるでしょうし、理念に基づく
熱意も大きいでしょう。或は、何とか停滞を打破して衰退を避けたいという、
防衛的な意識も働いているかもしれません。
出版物のカタログには、何百という書籍名が並んでいます。

しかし、大きな書店でも、英語は言うに及ばず、中国語(北京語他)・
朝鮮語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語等に比べても、
エスペラント関連書籍の展示してある冊数はかなり見劣りがします。
アラビア語やタイ語などより少なく、下手をするとラテン語やサンスク
リットといった有力古典語にも負けて、わずか数冊が申し訳ばかりに
置いてあるに過ぎないのです。
それだけ、一般への訴求力や需要が少ないのです。

7近藤 貴夫:2006/06/07(水) 23:31:22
エスペラントを学ぼうとする需要は少ない。
それは、世界の他の地域でも、エスペラントを学ぶ人たちが少ないからです。

たとえ、自然言語の文法が難しかったり、不規則な綴りがあったり、想像を
絶する慣用句があっても、そしてそれを自由に用いるまでの道が遠かったと
しても、学ぶのは、使っている人が多かったり、読みたい原著があったり
して、何らかの形で報われるのがより確かだからです。

英語は、世界最強の国であり日本の同盟国である、アメリカ合衆国の言葉
であり、また、かつて世界の海を股にかけた海洋帝国、イギリス連合王国の
言葉であります。
北米ではアメリカ・カナダ、オセアニアではオーストラリア・ニュージー
ランド、東南アジアでは香港やシンガポール、南アジアではインド、
アフリカでは南アフリカや・・・とにかく、ブリテン島の故地をはるかに
越えて、世界のあちらこちらに根付いているので、たとえそのうちの
一カ国や二カ国が凋落したとしても、英語が有力言語の座から滑り落ちる
ことはまず考えられません。
だから、英語を学ぶのは当然で、すらすら喋れなくとも十分に意味があると
考えられているのでしょう。それに対し、エスペラントを支えているのは、
少数の仲間と、遠い将来の夢の世界だけなのです。

8近藤 貴夫:2006/06/08(木) 12:03:09
そして幸いにも、日本では、日本語だけで生活上困ることは滅多にあり
ません。大学まで、日本語で教育を受けられる環境が整っていますし、
世界のどこかでベストセラーの書物やヒット映画が出れば、すぐさま
日本語への翻訳書や字幕入り映画が追随します。
たとえ日本語で困る場合でも、誰でも喋れる程度の片言の英語で乗り
切れるような環境であり、中立の計画言語を心から欲するような状況に
出会うことはないのです。

大和民族は今後人口減少期になりますから、この幸運な状態がいつまで
続くかは分かりません。けれども一般に、すぐに失われる危機にあるとは
考えられていません。

9近藤 貴夫:2006/06/08(木) 20:42:01
それぞれに異なる言語を話す数人以上の人が一緒に話さなくてはならない
ときに初めて、「単一の簡単な共通語」の利便が意識されます。

自動翻訳機も、電子メールならば、「誰それ宛にはB語で、あの人宛には
K語で、」等々と指定して翻訳してもらって送ることができるでしょうし、
もらったメールが何語か判定して訳してもらうこともできるでしょう。
音声で話す場合も、一対一の場合は、「C語対J語」のようにあらかじめ
セットして始めれば、お互いに、肉声と翻訳音声の二つが聞こえるだけ
ですから、便利な製品ができて普及する可能性が十分あります。

しかし、もっと多くの人が「B語とC語とJ語とK語と……」で話して
いるときに、互いの発話を全部の言語に音声変換して流したら、誰が何を
言っているのか分からなくなるでしょう。会議のように、互いにヘッド
ホンをして、自分に関係ある言語だけが聞こえるようにした上で、順番に
発言を求めなくてはならなくなるに違いありません。

一つの共通語を皆が知っているに越したことはないのです。


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