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創作メモ
97
:
管理人
:2012/03/29(木) 22:03:34
古代において神権と王権は切っても切れない関係にある。信仰を集めることは大事だ。
つまりホトケをアレにアレしたらアレになるわけである。仏教を国教として国家的祭祀をし、成功すれば王権と結びつくわけだ。
蘇我稲目がそう考えたかどうかは知らないが、王家の次に王権の近くにいるのは、間違いなく蘇我稲目である。(
>>93
)
欽明「じゃ、試しにやってみっか!」 → 大失敗。
疫病が流行してしまうのである。仏像の廃棄、仏寺の焼却が黙認されることとなってしまうのであった。
そんなこんなで蘇我はしょんぼりである。といっても、別に蘇我が悪いわけではないので(本心は知らんけど)、
失脚したわけではない。蘇我イナメは財政手腕に長けていたらしく、この争いは後々に再燃するわけである。
一方、ぐちゃぐちゃの半島であるが、百済が大ピンチ。百済弱体化に乗じ、新羅が勢力を伸ばす。
560〜62年頃に、残った任那も新羅に全て滅ぼされてしまう。大和の新羅討伐軍も失敗。任那復興策も遅きに失した感がある。
大陸もこの時期は隋建国前のぐちゃぐちゃ期なんだろうなあ、きっと。ちなみに任那滅亡の際、半島から戻ってきた勢力もいたと思われるが、
そいつらの出自はどういう陣営が多いんだろうね? 少なからず国政に影響力を持ったとは思うんだが。
やがて、イナメも死に、オコシも死に、欽明も崩御となる。次の敏達は①王家正統+②継体系であり、やはり廃仏派だったそうだ。
敏達代の大連は物部モリヤ(オコシの子)、大臣はウマコ(イナメの子)である。二頭体制だな。相変わらず争ってます。
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