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創作メモ

82管理人:2012/03/25(日) 02:12:52
では>>81の①〜④のうち、管理人はどれを支持するのかというと、実は①≧③>>②>>>>>④の順なのである。
もちろん、現段階では、である。変わるかもしれない。確かに①はドラマティックに過ぎるきらいはあるけれども、
多少なりとも似たような展開があったとしても、別に驚くほどではない。顕宗即位後の二人の描写を見ていても、
①の展開であってもおかしくないな、と思わせる何かがあるのだ。創作の可能性も当然あるが、だとしたら製作者に拍手である。
ただ、②も捨て難いのは事実。特に飯豊初体験の記述が引っ掛かる。思わせぶりなのは、止めてくれ。

飯豊皇女。青海・忍海とも。父母ともに顕宗・仁賢と同じ。清寧死後に執政。ただし、古事記では二皇子発見が清寧死後なのだが、
書記では清寧存命中であり、顕宗と仁賢がお互い譲位したため飯豊が執政した、とある。書記には二皇子発見後に飯豊初体験の記述があり、
「試しにしてみたが大したことない。もう一度してみたいと思わない」と言っている。
相手は分からないが、分かったとしたらそれはそれで相手がかわいそうである。②説だと顕宗の可能性が高い。

まあいいや。ともあれ、この顕宗・仁賢兄弟はやたら譲り合ったり、やたら弱者に優しかったり、やたら温厚だと評されたり、
やたら父の仇である雄略の墓を壊そうと考えるけれども清寧には恩があるから馬鹿馬鹿しくなってやめたり、
と、とにかくやたら好意的に描かれているのが印象深い。何でだ?
ホンマのことやから!ってのが最も説得力があるが、だとしたらそれがホンマなこともかなり謎ではある。
前述の飯豊の件もそうだが、こういう点に②説的な裏があるのではないかと勘繰ってしまいそうになる。思わせぶりなのは、止めてくれ。


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